わけるくんインストラクターの私がお片づけにとらわれず、わけてみる「気分でわけるくん」。さあ、今日の気分は何がどんな風に反映されていて、どんなことにきづく?
2カ月ぶりの「気分でわけるくん」。
「気分」というのは、
①そのときどきのできごとやからだのぐあいなどによって変わる、心の状態
②雰囲気
③心に受ける印象
④今の(気分①)にあうこと。また、今っぽいこと。
とある。[三省堂国語辞典 第八版より]
深いなぁ。たしかにこの「気分でわけるくん」は①でするときもあれば、②の時もあり、③や④が表れることもある。
辞書を使ってこのカテゴリータイトルをつけたわけではないけれど、実にぴったり来る名付けだったなと自画自賛してみたりして。
さて、今回はどうかというと、①なのかなぁ。
台紙を前に、五角形をつなぎ始めてみた。
私はわけるくんインストラクターとして、さまざまな方のわける途中、わけた結果を見ているから、このように「わける」ではなく、「描く」みたいなものもたくさん見てきた。
理由を聞いても、描いたわけではなく、なんとなくこうなったという人もいる。
私は龍やヘビを描いたわけではない。繋いでいた。
五角形は一辺をかならず接するようにすると、まっすぐにはつながらないことを知っている。でも一辺をかならず接したいと思い、あえてウネウネとさせてみる。
台紙いっぱいに入るだけ繋いで、五角形があまったけれどそのままにしようかと一瞬思った。
けれど、隙間を埋めるようにやっぱり繋いでみたら、「ああ、今だ」と感じた。
この春は、わかりやすく繋がりを感じることがいくつか起こっている。
主に仕事で。
それは以前担当していただいた編集さんからのお声かけだったり、仕事ではない形でおつきあいしていた方とのお仕事だったり。
この「エンタラクティブライフ」で取材をお願いしている皆さまだって、今のところ繋がり以外のなにものでもない。
物事がうまく運ぶ時には、時間を要することはなく、トントントンといくもので、そうでない場合は脈がない、縁がないと思う人もいるだろう。
でも、そんなこともない。
何年ぶりとか、何年来とか、そんな時間の経過があって再びつながったり広がったりする場合もあるのだ。
残りの五角形を途中のところに繋いでみたら、またそこからニョキニョキいくような感じ。
これは今年咲かなかった庭のミモザのための剪定を動画でインプットした内容とも少しつながった。
何か続いていたものが終わったとしても、また脇から新しい葉が出たり、つながりが出来たりするという感じ。
根っこさえ腐っていなければ……の話だ。