私のアンフォゲ飯 PR

お前のが一番うまいわ、と言われた味噌汁

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、劇団☆新感線ご所属の俳優・演出家のこぐれ修さん。気づいたら継承していたという、お母様のあの味について、お話をうかがいました。

-- SNSにアップされているお弁当がいつも彩り豊かで美味しそうで気になっています。お料理歴は長いのでしょうか?
こぐれ 料理をするようになったのは釣りがきっかけです。小学生の頃、父親に連れられて川釣りは経験済でしたが、本格的に釣りをするようになったのは40年くらい前ですね、後輩に釣り好きがいたのがきっかけです。釣った魚を捌くようになってから、キャンプ飯みたいなものを作るようになり、今ではなんでも作るようになりました。

-- 釣りを始められたのは大阪にお住まいの頃ですよね? 釣り場はどのあたりですか?
こぐれ 須磨、淡路島そして和歌山や五島列島にも行きました。堤防釣りからはじめて、磯釣りへ、上達とともに釣り場も移っていきました。当時、投稿がきっかけで釣り雑誌でライターをしていたことがあり、編集を通じてテスターと呼ばれるプロの釣り師とも交流を持つようになりました。プロに教えてもらうと釣れるようになり上達しました。
釣ったものは持ち帰り、調理して食べます。初めて釣ったのはタチウオで、それを三枚におろして刺身で食べました。初めは見よう見まねでしたが、釣りを続けるうちに魚を捌くのは当たり前になりました。自分で捌けば新鮮な状態で食べられるので格別です。

-- 今でも釣りをされるんですよね。長く続けられる理由はなんですか?
こぐれ 釣れないからでしょうね。簡単に釣れたら飽きるでしょう。特に初めの頃は簡単に釣れない魚があったんです。クロダイ、関西ではチヌといいます。「チヌ5年」と言って本当に初めはまったく釣れないんです。初めてチヌが釣れたのはちょうど釣りをはじめて5年経った時でした。
東京に来てからは釣りからは遠ざかっていましたが、コロナ禍にまた再開して、今では発声教室の生徒も誘って月2回くらいのペースで愉しんでいます。

-- 釣った魚を捌くところからお料理をされるようになったということですが、食へのこだわりとかルーツみたいなものがあれば教えてください。
こぐれ うちのおふくろは料理が上手かったんですよね。なんでも美味しかったので、好き嫌いもなかったです。それで思い出しましたけど、料理を始める以前も味噌汁だけは作ってました。それで自分で作った味噌汁を飲むと、おふくろの味がするんです。作り方とかレシピを教わったことはないので不思議なんですけどね。知らず知らずのうちにおふくろの味に近づけていたんだと思います。友人からも「お前の味噌汁が一番うまいわ」と言われたことがあるのを覚えています。

-- おふくろの味噌汁、お出汁はなんですか?
こぐれ 出身は山口県下関なんですが、うちのおふくろは、いりこ出汁を使っていました。味噌は田舎(糀)味噌で、具といえばワカメか豆腐。昔は行商のおばさんが山陰から売りに来ていて、母はいつもそこで魚や加工品を買っていました。
味噌汁の味は濃くはなかったかな。出汁がいりこだったのが一番の特徴だったと思います。高級なものではなかったけれど、新鮮なものばかりでしたから、何でも美味しかったですよ。そういえばフグが味噌汁の具に入っていたこともあったな。

-- フグですか?
こぐれ フグってこっちじゃすごく値段が高いじゃないですか。山口ではそんなことはなくて普通に売っているんです。もっとも立派なフグは全部大都市に行ってしまうので、手に入るのは小ぶりなものですけど。フグのフワフワの身が入った味噌汁は美味いですよ。

-- お料理は習ったわけではないのに、お母さまの味を継承できるなんて才能ですね。
こぐれ 学生時代、長期休みの時は実家の下関にある蕎麦屋でアルバイトをしていたので、料理の基本はそこで身についたというのもあるかもしれません。バイト期間も後半になるとカツ丼や天丼を作らせてもらったりしていて、そこでいろいろ覚えられたんでしょうね。その蕎麦屋のかえしは本当に美味しかった。醤油が違うんですよ。

-- ところで、こぐれさんが作った味噌汁、お母様は召し上がったことがありましたか?
こぐれ いやぁー、ないんじゃないかな。ないと思うなぁ。そうめんは作って食べさせた記憶がありますけど。先ほど話した蕎麦屋では、そうめんも出していました。ゆで加減はタイマーなんて要らなくて、指で触ればわかるようになっていたので、店仕込みのそうめんを家で再現して作ったのは覚えています。

-- 料理上手なお母様、自分の息子がお料理するなんてあまり想像していなかったかもしれません。嬉しかったでしょうね。
こぐれ 
おふくろの味とよく言いますが、思い返してみると、味噌汁はまさにそうでした。おふくろ以外の味噌汁で驚くほど美味しかったのは、岐阜の居酒屋で飲んだ味噌汁。板前さんに聞いたら、しいたけの戻し汁を使っているということで、あれは衝撃で、プロは違うなぁと思ったことを覚えています。

-- お母様に味噌汁を作ったことはないとのことでしたが、ご友人から「お前の味噌汁が一番うまいわ」と言われたことをお母様に伝えた記憶ありますか?
こぐれ 
それもないなぁ。おふくろは几帳面で働きものでした。父親が家に客人を連れてきても、全部おふくろが一人で料理を作ってきっちりふるまっていましたね。ちょっとそういうところは影響を受けているかもしれません。

-- こぐれさんのお味噌汁、もしお母様が召し上がったとしたらなんておっしゃったでしょう?
こぐれ 
なんていうかなぁ? 言葉は少なめで「まあまあやな」とか言うんじゃないですかね。

-- 味噌汁はその家の味とよく言いますが、舌が憶えていて自然にそれを引き継げているのは素敵ですね。おいしい出汁を感じる味噌汁、飲みたくなりました。ありがとうございました。

イラスト/Miho Nagai

こぐれ 修(Osamu Kogure)さん

1980年大阪芸術大学在学中に『劇団☆新感線』を創設。つかこうへい作「熱海殺人事件」木村伝兵衛 役で初舞台。以後、新感線の数々の舞台に出演する。
また、劇団EXILEの旗上げ公演に参加。「新幕末純情伝」「寝盗られ宗介」「犬を使う女」など話題のつか作品に連続出演を果たし、さまざまなプロデュース公演やドラマ、映画で活躍する。2010年に演出家として「こぐれ塾」を立ち上げ、数々の作品を手がける。また「こぐれ発声教室」では、のべ600人に発声指導を続けている。2024年5月には紀伊國屋ホール開場60周年記念公演『蒲田行進曲』を演出した。

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