映画の中にはさまざまな人生や日常がある。さまざまな人生や日常の中には、整理収納の考え方が息づいている。
劇場公開される映画を、整理収納目線を交えて紹介するシネマレビュー。
『茶飲友達』……なんてピースフルなタイトルだろう。
縁側、喫茶店、笑顔、おしゃべり、煎茶、家族、触れ合い、玉露、シニア、若者たち、電話、シェアハウス
ピースフルなタイトルから想像できそうなさまざまな単語をあげてみる。
これらは映画『茶飲友達』にすべて出てくる。
すべて出てくるが、想像するようなカタチでは表れない、ほとんどすべて。
外山文治脚本・監督による今作は、2013年10月に起きた高齢者売春クラブ摘発のニュースに着想を得て生まれた社会派群像劇、オリジナル作品である。
『茶飲友達』はティー・フレンドと読み、この組織に所属するティー・ガールズと呼ばれる高齢者のコールガールたちは、シェアハウスを詰所にしてそれぞれのシゴトに従事する。
そこは観る者の予想に反してカラッと明るい。
運営するのは若者たちだ。淡々と、でも不機嫌でもなく彼らもそれぞれの与えられたシゴトをこなす。
ヤバイとか後ろめたい、みたいな感情は見えない。
それも観るものの予想に反しているだろうか。
彼らを束ねるのは、佐々木マナ(岡本玲)。
彼女は少し甘ったるい声で、ゆっくりとした口調でティー・ガールズらに話しかける。
それは自分の中にある言いしれぬ不安や寂しさ、割り切れなさを、隠そうとしている手段に見えて、どうしたって気になってしまう。
勘のいい人なら、早々に彼女とは距離を取ろうとするのかもしれない。
そうじゃない人たちが彼女の周りにはいた。
映画には、さまざまな部屋が出てくる(映る)。どこも整然とはしていない。
シェアハウスも、カラオケBOXも、マナに助けられティー・ガールズになる松子(磯西真喜)の家も、ラブホテルの一室も。
それがリアルで、なぜかホッとする。生きている感覚を感じられるからだろうか。
迷いやあきらめを抱えている人たちの心そのもののような気がするからかもしれない。
そう思うのは、もしかしたら、ここに映る空間はやり直しのきかないなれの果てなんかではなくて、方法や手順さえ違わなければ整うし、もっと居心地が良くなるということを、私が整理収納アドバイザーという仕事柄、知っているからかもしれない。
そうやって、この映画の登場人物たちに希望を見ようとしていたのかもしれない。
映画は、マナ以外にも目の前の自分と少し先の未来に正解をなかなか見い出せずに立ち止まる若者たちのさまを描く。
年齢を重ねれば、正解などないとわかりもするけれど、
同時に正解を求めるような安全策ばかり提示してきた社会や、そこで大人になった自分たちに跳ね返ってきたブーメランみたいに見えて、傷む。
そしてティー・ガールズであるシニアたちにも一人一人興味が湧く。
彼女たちの今と昔を正面じゃなく斜め45度の位置に座って聞き出したい、そんな気持ちになった。
映画を観終えて思う。
それでも私は茶飲友達が欲しいなと。
もちろんこの映画に出てくる形のそれではないけれど、
その文字面通りの茶飲友達が欲しい。
そして、年齢に関係なくこの映画を観てそう思う人がたくさんいたらいいなと思う。
きっとこれはそういう映画だ。