日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
取材原稿の音声を起こしていた時のこと。
この日は珍しくタブレットからBGMを流していた。
原稿を書く時は集中するために音を遮断することが多いが、逆に気分をあげて書くために、あえて音楽を流すこともある。
耳が言葉を拾ってしまうので、邦楽は避ける。
音声を起こす時は、イヤフォンをするから、BGMは切るのが普通だが、なんとなくその日は片耳を外しつつ作業を始めていた。
ルーティンをきっちり守らないと気が済まないタイプではないので、その日の気分で「いつもの」スタイルを変えることはあるのだ。
すると、こんなことが起こった。
ある音楽が輪唱のように聴こえてきた。
「あー、私、マズイかも。結構疲れてる……。モノが二重に見えるみたいな感覚で音が二重に聞こえちゃってるよ」
そう頭の中で警報音を鳴らした。
数秒してから、いや、違う、これは幻聴ではないとわかった。
取材先で流れていた音楽と、今、この部屋で流れている音楽が一緒なんだ。
取材先では音楽が流れていることも多い。今回は取材先がカフェだったのでそこで流れていたミュージックリストと同じチャンネルのリストを私が流したのだろう。
それにしたって、ちょうど同じ曲になったのがすごい。
実は取材先のBGM問題はいろいろなパターンがある。
おしゃれなお宅では、まあまあな音量で音楽が流れていることがある。
そのお宅の生活だし、そこにこちらがお邪魔しているのだし、「ごめん、ちょっと音切って!」とは言えない。
そもそもそんな口のきき方はしない(笑)。
でもなかなかな音量で、しかもうっかりお話をうかがう時の立ち位置をミスったりすると、
やけにスピーカーの音を拾いやすい場所だったりして後で大変。
どうしてそんなに大変かというと、どうやら私、耳がいいらしい。
というか、声を拾う耳らしい。
いや、ちゃんと調べたことはないけれど、たぶん話し声に敏感で、聞こうとする耳の習性があるので、話し声のところに違う音が混ざっているととても気になるのだ。
取材時の音といえば、赤ちゃんの泣き声とか、飼い猫さんのミャーミャーとか、外の車輛のバックする音とか、そういうのが聞こえると再生を少しもどって聞き直すことになるのだ。
これからご自宅で取材を受けるかもしれない皆さま、
BGMの件、ご検討ください。
原稿を書く時、その内容によってBGMをセレクトすることがある。
耳が音を拾うので、日本語詞、特にラップはしゃべり言葉レーダーが働いてしまうので厳禁。好きな人の音楽は歌ったり、ノリたくなってしまうので、避ける傾向にある。
キンキンしていない洋楽、ジャズ・フュージョン系、でもヒーリングミュージックはちょっと違うマインドが乗っかってしまうきらいがあるので、避けることのほうが多い。
結果、イヤフォンをセットして無音。
つまり耳栓状態になっていることがまあまあある。
長時間の使用はあまりよくないらしいから、気を付けながらTPOに応じてというところだろうか。
人の話し声がするところでも集中できる人が昔も今もうらやましい。
あとはこの力を何か特別なことに活かせたらいいなと思うばかりだ。