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きっとうまくいく精神

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

2026年を静かに迎えました。本年も「エンタラクティブライフ」をどうぞよろしくお願いいたします。

今年は午年。それに掛けて「うまくいきますように」と願う言葉をハガキやSNSで見る。
そう考えると、私は何かトラブルのようなことが起きた時、「きっとうまくいく」と思いながらことに臨むことが多い気がする。暗示のようなものだろうか。楽天家というやつ?
どうしてそう思うようになったのかはあまり分析できていない。
けれどちょっとわかるのは、「うまくいく」の基準がそもそもあまり高くないのだということ。
大成功をイメージしていないということだ。
なにをしてもうまくいかないと思いがちな人は、その基準が、理想がきっと高いのだと思う。
有言実行、目標遂行型の人は、志が大きければ大きいほど良いということもあるだろう。
でも、自分にすこぶる甘い私は、「きっとうまくいく」の基準をうーんと低くして(というか、高くはしないで)、アトヅケで「ほらほらやっぱりなんとかなったじゃん」「なんとかうまくいったよね」と思うのだ。

義兄の葬儀は、亡くなってから一週間後に家族葬という形で行われた。
故人の遺志を尊重して、静かにシンプルに送ると聞かされていた。
冠婚葬祭慣れしていない私たち夫婦に出来ることは本当に少なくて、ただその日一日を空けておいただけだった。

唯一私がしたことと言えば、葬儀場でお会いするであろうほんの少しの方に、ほんの少しのものを用意することだった。
何もしないという約束なのに、何かするのはかえって負担になるから、ほんの少しにこだわって、百貨店の地下の菓子売場をぐるぐると何周かした。
・かさばらない
・賞味期限が極端に短くない
・硬すぎない
・柔らかすぎない
・多すぎない
・かぶらない
お渡しする方の年齢を考慮しながら消去法にしていくと、どんどん候補がなくなっていって、また売場をぐるぐるぐる。
しばらくして老舗の饅頭に落ち着いた。「きっとうまくいく」と思って。

当日、別れ際に用意したものを渡すことが出来、私の役目はなんとなく終了した。
うまくいくも何も、こちらの自己満足という名のほんの気持ちだったので、それでよかったのだ。

あと数日で新しい年になるというところで、また思いがけないことが発生した。
でもやっぱり私に出来ることはほとんどなくて、状況を正しく理解し、粛々と目の前のことに対処することしかない事態だ。
「きっとうまくいく」心の中でそう思って対応した。
ちゃんと!? 「マジかよーー!」と電話を切った後に大き目の声を漏らしたし、
少し落ち着いた後には、サラッと状況を聞いてもらえる存在がいるのもありがたい。
「きっとうまくいく」は「なるようになる」ということ。
だから今年も「きっとうまくいく」精神でことにあたろうと思う。

その中から、ちょっとクククと笑えることや、へぇーっと思える何かがあれば、こうして書いて伝えられれば最高だ。
あまりうまいことは言えないけれど、今年もどうぞお付き合いください。