あの頃を思い出すと胸が熱くなる。そんな時期を一緒に過ごした面々との集まる機会がこの秋あった。
大学の4年間、常設の学園祭実行委員会に所属していた。
わりと大きな大学で学部も多かったが、全体の男女比は9対1。委員会では必然的に周りは男子ばかりで委員全体で30人位の内、女子は6人という状況だ。
そんな中で年一回の大きなイベントのために準備する日々。
授業が終わると部室(部じゃないけど)に集まり、昼間は授業のない(サボった?!)面々でドライブに出かけ、夕方からは会議をし、お金があれば夕飯を食べにいったり、飲みに行ったりなんてことをしていたもんだから一緒に過ごした時間はとても長い。
活動する中でぶつかることもあれば、助けられることもあり、そしてつらいこともあれば、それを忘れるくらい充実して楽しいこともあった時間。先輩後輩の関係に友情、愛情の全部満載なアオハルな時間。
久しぶりの再会は、大学時代に通っていたお店のママの呼びかけでお客さん同士の同窓会だった。
何者でもない時を過ごした仲間と言うのは特別なのかもしれない……。卒業してからすでに30年以上経っているのに、会えば一瞬であの頃と同じように呼び合い、ふざけ合える関係は貴重で、楽しい時間はあっという間で帰りの時間を忘れそうなほど。
楽しい時間と言えば、他にもあった。
この日に合わせて前入りで実家に帰省したとき、長男と同じ年の甥っ子と柿の木1本分の渋柿をちぎった。天候が良すぎて早く熟してしまった柿を落とさないよう、甥っ子が実を取り、私が網で受け取る係と役割分担し、連係プレーでちぎった柿はコンテナ2箱分。
「一刻千金」
《蘇軾「春夜詩」の「春宵一刻値千金」から》わずかな時間が千金にも相当するということ。楽しい時や貴重な時が過ぎやすいのを惜しんでいう語。
何でもないことだけど、ちょっと面倒で、お互いに意識を向けていないとできないことで達成感があると嬉しい。そしてそんな時間は絆を強めてくれると思っている。きっと思い出や記憶に残るのは、上手くいったことよりもちょっと大変だったり、失敗してしまったりしたことの方。
そういう時間のことを「Quality Time」と言うらしい。
誰かと過ごす良質で、充実した時間は「一刻千金」なのだ。
大学時代の仲間との時間も、甥っ子との時間もわずかな時間でも私にとっては大きな価値がある。大学時代と違って延々と自分だけの時間とはならない今、抱えていることもやることも多いけれど、限られた時間をどう過ごすか?一刻千金と思えるこういう時間こそ大切にしたい。