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謝ってよ、よめハラスメント

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

ついに義母との決裂かとヒヤヒヤさせていたらゴメンナサイ。
今日も今日とて、理由あって週イチ義母宅は穏やかにクリアしたので心配ご無用。

これは、私が最近ちょいちょいやってる新種のハラスメントだ。
流行り言葉みたいに使って茶化すのはいけないよね、だけど……

人生はネタだらけが信条の私。
でも、私自身にドラマみたいなことが日々起こることはない。
だから日常のふとしたアレコレを自由に書きとめてここに綴っている。

そのアレコレについての現場に一緒にいた人や、なにか関連する事柄があったりすると、この『エンタラクティブライフ』の中のクリッセイ連載のページのリンクをつい送ってしまう。

これがつまり「よめハラスメント」、読めハラである。
「良かったら読んで」と個別にLINEやメッセンジャー、メールやらで送られたら、相手は読まないわけにはいかないわけで、冷静に考えればずいぶん図々しい行為だ。

でも、「あの時のことがこういう風にまとまったのね!」と軽く笑ってもらったりできると、記憶を共有できる気がして嬉しい、そう私が。
読めハラの体ではあるが、読んでもらえたらラッキーぐらいの気持ちもある。

世の中にはたくさんの読み物があって、文字はなかなか読む気になれないという人も増えているし、長い文章かなと思うと読むのを止めるという人も多いみたいだ。
面と向かって言われたこともまあ、ある。
自分の糧になるハウツー本なら勉強だと思って読むけれど、
そうじゃなければよっぽど時間とタイミングが合えばということになるのは当然といえば当然だ。
だから世界中の人に読んで欲しい……とは言わずに、
限定的にご紹介しちゃうわけで、うん、やっぱりこれ読めハラかも。

読めハラには進化系というか、単独の最上級がある。
それが「きけハラ」だ。ターゲットはもっぱら我が夫で、
私が読み上げるのを聞かせるという仕組み。
もちろん、毎回ではない。
文章の中に鍵括弧が出てきたりすると、そこはちょっと気持ちを込めて読んだりする。
それがいいのか悪いのかはこの際、横に置いておこう。

読めハラと聞けハラ。
まあ実際は、「良かったらお時間ある時にご一読ください」と「ねえ、聞いてくれる?」
という言葉と思いで行っている。

言い訳が続くが、実はこの「読み上げる」というのは案外、ためになる。
読んでいてテンポが悪いと、内容が入ってこないし、
クセが強く出過ぎていると読みづらいし、聞きづらい。
当然、誤字脱字にも気づける。
自分だけがわかっていて、客観性がないとそもそも文章として成り立たない。
書いた文章を声に出して読んでみる。
これは、私が完全個別指導形態の「栗原印のライティング講座」でも必ず伝えていることの一つだ。

この先も私のよめハラ、聞けハラは続きそう。
物騒だから別の言葉を考えたほうがよさそうだ。
思いついたらまたここに書こう。
「決まったらURL送りますね!」
あー、ほらまた。