日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
先生と呼ばれる人が私の周りにはたくさんいる。
私が先生と呼ばせていただく人もいる。
先生とは、自分より先に生まれた人がそもそもの意味だそうだが、
一般的な意味は、学問や技術を教えてくれる人のこと。
個人的な師、師匠をそう呼ぶほか、医師や代議士など学識のある人、指導的立場にある人を敬った言い方なのだそうだ。(デジタル大辞泉参照)
先日、私が先生と呼ばせていただいてきた方と、あれやこれやの楽しいおしゃべりをしながら、「政治家を先生と呼ぶのは反対だ」と、ずっと思ってきたことをポロリと口にした。
先生って呼び方は、何かを麻痺させる力がある気がするからだ。
政治家がその筆頭。
学校の先生は、学問を教えてくれる。
病院の先生(医師)は、病について原因や治療法を教えてくれる。
そう考えると、政治家は何を教えてくれている?
弁護士は、法律のことを教えてくれるのかな。でも弁護士という肩書があるのだから、
先生呼びじゃなくてもいい気がするけれど……。
どうしてそんなことをわざわざ言うのかといえば、
「先生の呪縛」みたいなものがその言葉にはあるからだ。
「先生は正しいことを教えてくれる人」
が転じて、「先生は間違ってはいけない人」「知らないと言ってはいけない人」
そんな呪縛に本人がガッチガチになってしまうことがありそうだからだ。
事実、「知らない、わからない」を歳を取ってからも決して言えない人が私の周りにもいる。それって結構、苦しいのではないだろうか。
矛盾していると感じる人も大勢いるのではないか。
それも麻痺して、ただただ上から目線になったり、
マウントをとってなんぼ、みたいなことにもなりかねない。
この日、それまで先生とお呼びしていた方を、これからは下のお名前のさん付けで呼ばせていただくことに決まった。
まだ慣れなくて面と向かってお話している間は、つい先生と言ってしまうことも何回かあったけれど、
メッセージのやりとりで、なんとかそう呼べるようになった気がする。
〇〇先生から、〇〇さん呼びにする時は、とても照れくさくて、
子どもの頃、友だちがあだ名から下の名前呼びに変わった最初の時……みたいな気分だった。
呼び慣れるまではもう少しかかるけれど、
子どもの頃、転校生に初めて話しかけた時……みたいな気分になって、わくわくもした。
もちろん、料理のプロとして、そして人生の先輩としてたくさん教えていただいていることへのリスペクトは、呼び方が変わっても全く変わることはない。