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ぼくたちの哲学教室

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映画の中にはさまざまな人生や日常がある。さまざまな人生や日常の中には、整理収納の考え方が息づいている。
劇場公開される映画を、時折、整理収納目線を交えて紹介するシネマレビュー。

キャッチコピーは“やられたら やりかえす? それでいいの?”
とても気になった。そして気になったのは間違いじゃなかった。

これは北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロスという男子小学校を写したドキュメンタリーだ。
この学校には常に対話がある。常に問いかけがある。
その軸にあるのは「哲学」の授業だ。
担当するのはこの小学校の校長、ケヴィン先生。
茶目っ気があり、常に生徒に問いかける。
他者の個々の意見を尊重し、正解は一つではないことをメッセージして、対話をするのだ。

小学校でのシーン以外に、度々曇ったシーンが出てくる。それこそが北アイルランドの現状。
長きにわたり紛争が続いていたこの地にどんよりと流れる争いの過去と、くすぶりが町の色になっている。
事実、この町には「平和の壁」という名の分離壁があるのだそうだ。

「やられたらやり返せ」それが当たり前だと親から教え込まれた生徒の中には、
友だち同士の喧嘩の理由をそっくりそのまま、親の教え通りにやられたからやり返したのだと言う子もいる。
眉間にシワが寄る。そして、大抵こうなったら仕方ないとか、変わらないよ、あの親だもん……なんてわかったように言って丸っとあきらめたりする日常が世界のあちらこちらにあるよなと感じた。
でもケヴィン校長やこの学校のスタッフたちは違う。
子どもたちに考えさせるのだ。そしてどのような答えにも寄り添い、自らの意思でそう思えるよう導く。

インタビュー取材にも、企画会議にも、整理収納サポートにも、もちろん家庭での親子関係、夫婦関係でも生かせる術がこの映画、この小学校のケヴィン校長の言葉に詰まっていた。

特に私が心の中で拍手したのは、前に出てきた親に「やられたらやり返せ」と教えられてきたという生徒とケヴィン校長が、他の生徒たちの前で親子の対話の見本を模擬実演してみせるシーンだ。
生徒が父親役、ケヴィン校長が息子役をする。
親だからといって、その意見にただ従うのではなく、問い返したり、意見を述べたりしていいのだということを模擬で見せていく。

論破するとかそういうことではない。「なぜそうなの?」「僕はこうしたい」「こう思うんだ」とあきらめずに伝えていくと……。
このシーンを見て、「そうは言ってもあの人は変わらないから」とか「そんなにうまくいくはずがない」と感じてしまった人がいたとしたら、結構重症だ。
私が行って話し相手になるから呼んで! と言いたい。
それは映画の影響を受けすぎだろうな。

映画では、新型コロナウィルスまん延の影響でロックダウンした期間も描かれた。
小学校のシャッターが下りる映像は、胸がグッと締め付けられる。
そしてロックダウン明けで登校してきた子どもたちには、また別の繊細な棘が刺さってもいた。

仕事柄、対話は人より多くしている自覚がある。
そもそも人の話を聴くのも聞いてもらうのも嫌いじゃない。
でもなんとなくそれは慣れた自分が出来ている気になっているだけなのかもしれない。
対話のために考えているかといえば、反射的にしている割合のほうが多そうだ。
考える、対話する、尊重する、主張する。きれいな形にならなかったとしても、
そのどれもが出来る人でいたいと思わせてくれる映画だ。

対話に自信がない人も、ちょっと自信がある人も、観て感じよう。

ぼくたちの哲学教室
監督/ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ
出演/ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち
2023年5月27日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー!