誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、私、栗原の整理収納の師匠、整理収納術研究家のすはらひろこさんです。
普段はすはら先生とお呼びしています。新年に美味しいランチをいただきながら、すはら先生の少女時代が見えてくるアンフォゲ飯のお話をうかがいました。
-- 北欧をはじめ、世界各国の美味しいものも召し上がってきたすはら先生にとっての忘れられない味はいつ頃食べたどんな食べものですか?
すはら 私が子どもの頃と言えば、“巨人 大鵬 玉子焼き”の時代です。当時の私が好んで食べるものといえば、ハンバーグやオムライス。なかでもホットドックが好きでした。新宿伊勢丹の何階かに入っていたホットドックスタンドで、必ず母に頼んでホットドックとココアをいただくのが楽しみでした。
実は場所についてはこの記憶が確かなものなのか、あまり自信がないのだけれど……。
-- 私、トーク番組か何かでミュージシャンか役者さんが、新宿伊勢丹のホットドックの話をしていたのを聞いたことがあります!!
すはら じゃあ私の記憶は幻じゃなかったのね、よかった。小田急百貨店で夕日を見ながら食べたハンバーグもよく覚えています。食べものって景色込みで記憶しているものですね。
あ、でもホットドックはアンフォゲ飯とまではいかないの(笑)。
-- あれ、そうなのですね。ではでは、改めまして、すはら先生のアンフォゲ飯を教えてください。
すはら 嫁菜(ヨメナ)っていう野草、知ってます? これを使った「嫁菜めし」というご飯が私は大好きでした。「嫁菜めし」は、おしゃれに言うと摘み草料理ですね。
この「嫁菜めし」で忘れられないのは、小学校低学年の時のこと。ひなまつりの時季にお友だちを家に呼んで、ひなまつりパーティーを開いた時に、母が私の好物だからという理由で「嫁菜めし」を作ってくれたんです。
でもテーブルに並べられているそれを見て友だちが「ご飯に草が入ってる!」って言ったの。これが子どもごころに結構ショックで、こんなに美味しいものを草(クサ)っていうなんて……。
お誕生会もひなまつりも一緒に過ごすし、バービー人形で一緒に遊ぶ仲良しの友だちだったけれど、その子が草って言ったのよ(笑)。
-- 嫁菜(ヨメナ)というのを初めて聞いたのですが、これについて少し教えてください。すはら わが家では春になると車で里山のような野原に野草を摘みに出かけていました。嫁菜のほかにツクシ、ノビルなんかも摘んでいたかな。川崎がまだ今のような都会になるずっと前、畑や田んぼだらけの頃の話です。
私はどれが嫁菜で何が食べられる草かなんてわからなかったから、母の横に一緒にいただけだったけれど、その野草摘みに行っていた情景ははっきり記憶しています。
-- 「嫁菜めし」どんな味や香りなのでしょう?
すはら 湯通しして塩をして刻んだ嫁菜を炊きたてご飯に混ぜるという、いたってシンプルな食べ物です。葉自体にクセはなく、香りもなかった気がします。でもとてもきれいな緑色で、それが私の春を感じる食べものでした。車好き、ドライブ好きの父の運転で行楽を兼ねて野草を摘みに行って、そこで摘んだ嫁菜を母が食卓に出してくれるというのがわが家の春の恒例行事でもありました。
-- 菜めしっておいしいですよね。
すはら 大根の葉も美味しいし、高菜も壬生菜も好き。菜とつくものはなんでも今も好きです。でも「嫁菜めし」は結局子どもの頃しか食べられなかった忘れられない味です。
その後、私が小学校高学年になる頃には、野草を摘みにドライブに行く機会は減っていき、やがて町はどんどん開発されていきましたから。
-- それにしても、ひろこ少女の好物を「草が入ってる!」というとは、お友だちおそるべし!?
すはら 子どもは正直だし、彼女は「嫁菜めし」に馴染みがなかったんでしょうね。母は「嫁菜めし」のほかに、「ちらし寿司」も用意してくれていたので、友だちたちはそちらを食べていたと思いますよ(笑)。
私は「嫁菜めし」のほうが断然好きだったので、そればかり食べていました。今考えれば、摘んだ野草を食べるという食に、野草摘みという体験が当たり前にくっついていたのだなと思います。
体験といえば、子どもの頃はかつお節を削るのも好きだったし、ごますりも私の係だったかな。すりながら合間にちょっと味見をしたりするのがお楽しみでしたね。
-- お母様に「ひろちゃん手伝って!」と言われてお手伝いしていた感じですか?
すはら いえいえ、言われなくても当たり前にというか、するのが当然という感じで楽しみながらしてましたね。
-- ひなまつりのお話が出たので、ひな人形のことも聞きたいです。どのようなお飾りでしたか?
すはら ばぁばが買ってくれた七段飾りのひな人形がありました。でもわが家のひな人形はボロボロになってたなぁ。飾るだけじゃなくて、人形として遊んじゃうじゃない。顔なんか黒っぽくなっていました。
-- えっ、ひな人形で遊んだんですか?
すはら 遊ばなかった? ひな壇に飾ってあるのを下におろして、人形を手に取って遊んでましたよ。座っている形のお人形をちょんちょんっと歩かせたり、かんざしをつけたり外したりしちゃって。お人形遊びが好きだったから、当たり前にそうしていたし、怒られたりもしなかった。もちろん、ひなまつりが終われば、ちゃんとしまうところまでしましたよ。
-- お人形遊びや野草摘みの記憶を教えていただきましたが、すはら先生が憶えている中で一番古い記憶、最初の記憶ってなんですか?
すはら 両親が家を建てる時に、母の背中におんぶされている状態で、家の土台を決めている様子を憶えています。2歳くらいのことかなぁ。母の肩越しに見たものだけれど、その時の土の色も鮮明に憶えています。ここが玄関で、ここがキッチンみたいに間取りを確認しているような場面だったのかしら。
-- それってもうすはら先生のお仕事の原点そのものですね!! すごい。今日は貴重なお話をありがとうございました。今年のひなまつりは、菜めしを作りたいなと思います。
イラスト/Miho Nagai
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