紅茶コーディネーターのイノチカが、さまざまな角度から紅茶と共に過ごす時間をご提案するオリジナルエッセイ。
好きなのは紅茶を愉しむしあわせな時間と空間。
一人の時もあれば、大切な誰かと一緒の時も。自宅をはじめ居心地の良い場所でのTeatime。
私の人生の中で、紅茶と紐づく記憶は、いつもしあわせと結びついています。
暮らしに紅茶を取り入れて、日常にもっともっとしあわせな時間を増やしていくことができたなら……。
紅茶にまつわるあれこれを綴ります。どうぞ紅茶を片手にお付き合いください。
《Tea and・・・国産紅茶ゆかりの地・くまもと》
新緑がまぶしいこの頃ですが、茶葉の新芽もすくすくと育っているようです。
紅茶に惹かれる理由はたくさんありますが、紅茶の歴史もその一つ。
今日は私が日本の紅茶の歴史を知るきっかけとなった紅茶の話です。
熊本の鶴屋百貨店という老舗デパートで、思わず目に留まったのが
『やまが復刻紅茶』という熊本県山鹿市にある藤本製茶の紅茶でした。
そのパッケージには〈明治八年政府は日本初の紅茶伝習所を山鹿に設置しました。〉との記載があり、
え? 日本初? 紅茶伝習所? と大変興味をそそられました。
お茶の歴史は3000年ほど前に中国で始まったといわれていますが、茶葉を酸化発酵させた紅茶が中国福建省で発見されてから約400年。
そして、日本での紅茶の歴史は150年ほど前に始まっています。
日本の紅茶に関する歴史を調べてみると、日本の近代化、外貨獲得のため政府主導で、紅茶の生産が始まったことがわかります。中国から製茶技師を雇い、中国式の紅茶製法を茶農家へ伝習し、輸出産業として育てていこうとしていたようです。
その時、日本で初めて紅茶伝習所が設置されたところの一つが白川県(現・熊本県)だったそう。
熊本が日本の紅茶の始まりに関係していたとは!
『やまが復刻紅茶』をキッカケに、紅茶の歴史を知ることとなり、故郷・熊本と紅茶の由縁にとてもワクワクしました。
当時、熊本県は伝統的に山間部に自生する茶樹、ヤマチャを用いたお茶作りが盛んな地域であったことから、紅茶の原料の茶葉もこのヤマチャを利用していたようです。
『やまが復刻紅茶』はその時の製法を5年の歳月をかけて研究し、再現してくださっています。
パッケージの裏面に記してある原材料名に発酵緑茶と書いてあるのを見たのは初めて。
紅茶伝習所で緑茶と同じ茶葉を発酵させた紅茶を作るにあたり、原材料を発酵緑茶と書いていたのではないのかな?と推測しました。
だとしたら復刻紅茶の表記も同じように書いたのかなと、生産者のこだわりを感じました。
今、私がこうして、国産の紅茶を美味しく頂けるのも、たくさんの方々のおかげです。
実は、日本の紅茶産業は日露戦争をきっかけに輸出が衰え、生産も減少し、1960(昭和35)年以降衰退していました。
国産の紅茶はほとんど流通しておらず、紅茶と言えばイギリスやインド、スリランカなどの海外からの輸入物。私自身、紅茶を学ぶまでは、西洋の優雅でお洒落な飲み物というイメージでした。
近年、少しずつではありますが国内でも紅茶の生産がおこなわれるようになり、今では、海外の紅茶だけでなく、日本の紅茶も愉しめるようになり、嬉しい限りです。
その土地ならではの地ビールならぬ、地紅茶も生まれているようです。
紅茶をキッカケに、いろいろな土地を訪れてみるのも愉しいですね。
私自身、紅茶に興味を抱いたきっかけは、紅茶教室で本当に美味しい紅茶を頂き、衝撃をうけたことでした。
紅茶はどれも同じで、たいして美味しくはないと思っていたのに、産地、品種、標高の高さ、その年の気候などによって味わいが変わること、水やお湯の温度をつかいこなすことで、本当に美味しい紅茶を頂けることを知り、今でも紅茶の世界の奥深さに魅了されています。
日本の土地や風土に合わせ、小規模な茶園で、こだわりを持った生産者の作る国産紅茶との出会いは、さらに紅茶の世界を広げてくれています。
そろそろ紅茶のお代わりはいかがですか?
美味しいだけでなく、こころも豊かにしてくれる紅茶。
歴史を振り返り、当時の紅茶作りに想いを巡らせながら、買ってきた『やまが復刻紅茶』を頂いています。
クセがなく、スッキリとした味わいのまろやかな紅茶です。
山鹿灯篭祭りで有名な山鹿市は温泉地でもあり自然に囲まれたとても心地よいところ。
国の重要文化財でもある山鹿の名所、八千代座は映画『るろうに剣心』のロケでも使われました。
街並みもとても雰囲気があり、着物を着た撮影などにもおすすめです。
次回、帰省の際には山鹿の茶園にもぜひ行ってみたいなと思っています。