私のアンフォゲ飯 PR

料理長の伯父さんのきりたんぽ鍋

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、エコアナウンサーの櫻田彩子さんです。整理収納関連イベントの司会でもお馴染み、昨年はご著書『私はエコアナウンサー~SDGsをジブンゴトに~』も発刊されご活躍です。そんな櫻田さんのアンフォゲ飯とは?

-- お仕事で全国各地を訪れてもいる櫻田さんの忘れられない味はなんですか?
櫻田 何度考えても一番はコレだなと思うすごく食べたい味があります。でも本当に残念なことに、もう食べられないんです。それは、私の伯父と伯母が手がけていた秋田県能代市のホテル大原という旅館で出されていたきりたんぽ鍋です。
このきりたんぽ鍋は料理好きの私の夫も大好物。伯父をとても尊敬しているんです。

-- 秋田県能代市は、櫻田さんのルーツですね。
櫻田 はい。能代は幼い頃暮らした土地です。能代は日本海側に面した木都、木材の町で、北前船の寄港地として栄えました。その能代に伯父の生家である1865年創業の料理旅館「大原旅館」がありました。天然秋田杉を使った木造の旅館で、大きくて広い玄関があって、番頭さんがいて、おばあちゃんが囲炉裏で炭をかきながら火にあたっていたのが私の子どもの頃の記憶です。奥には広い調理場があって、お風呂がとにかく大きかったですね。
この旅館は昭和に入ってからホテルに建て替えられました。この宿の最後の経営者となったのが、伯父と伯母の夫婦でした。伯母は私の父の姉で、伯父は父の同級生。伯父は板前としての修業も経た料理長であり、経営者でした。

-- 料理旅館だったということですから、かなりの料理自慢な伯父様だったのでしょうね。
櫻田 伯父の作る料理はなんでも美味しかったです。包丁がピッと立っていて、それが秋田の素朴な山菜料理だったとしても味が鮮烈で、際立っていました。

-- ではさっそく「きりたんぽ鍋」について詳しく聞かせてください。実はあまり食したことがないので、興味津々です。
櫻田 あきたこまちの新米で作るたんぽ(炊き上げたお米を杉の串に握り付け、炭火で焼いたもの)を切って鍋に入れます。
伯父のきりたんぽ鍋には、比内地鶏でとった出汁に鶏肉、鶏もつ、金茸という小さなキノコ、ネギ、ゴボウのささがき、しらたき、油揚げ、セリなどが入ったしょうゆベースのやや濃いめの味つけ。親戚が集まると伯父がフルコースでもてなしてくれて、最後はそのきりたんぽ鍋をいただくのが定番でした。

-- 櫻田さんにとっても、ご家族の皆さんにとってもアンフォゲな味のようですね。きりたんぽってどう食べるのが正解なんですか? 鍋を煮込んでいるうちにたんぽは崩れていくもの?
櫻田 
その崩れたたんぽが、めちゃくちゃ美味しいんです! 鍋の下のほうに溜まったくずれたたんぽを掬いながら食べるのもいいんです。さらにシメには能代うどんを入れます。ご存知ですか?

-- はじめて聞きました。秋田というと稲庭うどんしか知らないかも。
櫻田 稲庭うどんは少し高級なイメージがありますが、能代うどんは地元ではポピュラーな比較的リーズナブルな乾麺のうどんです。つるんとした食感が特徴で、稲庭うどんのようなしっかりとしたコシはないんです。のどごしがよくてやわらかいので消化に良く、子どもの頃、具合が悪くなるとおばあちゃんが作って食べさせてくれたという記憶もあります。
鍋に入れたやわらかい能代うどんに出汁がしみてなんともいえず美味しい!!
伯父の作るきりたんぽは味が冴えていて、とにかく美味でした。ほかと何が違うのか、言葉ではうまく表現できないのですが、「大原のおじちゃんのきりたんぽは日本一だ」と親戚一同、皆が思ってました。
残念ながら伯父も伯母も亡くなってしまい、もうあの味は食べられないのですが、あの味が今の自分とつながっているということに気づけたような気がします。

-- 伯父さんのそのほかのお料理で、記憶に残っているものはありますか?
櫻田 
せっかくなので伯母の料理の話もさせてください。 料理長として厨房に立つ伯父に対して、伯母は女将として旅館を切り盛りしていました。その伯母が時々家庭料理をバックヤードで食べさせてくれることがありました。伯母が作るほくほくコロッケもごほうびみたいな味でした。
じゃがいもとひき肉で作る素朴なコロッケは、直径6センチ、厚さが3センチくらいのコロンとした形。旅館の仕事の忙しい合間を縫って子供たちに作ってくれるあのコロッケを食べた時の幸せも忘れられません。

-- 伯父さん、伯母さんは姪である櫻田さんから見て、どのような方でしたか?
櫻田 
愛情深い人でした。自分の子どもたちだけでなく、親戚の子、両親や兄弟、皆に対して優しかったですね。伯母を母のように慕っていました。
伯母と伯父が亡くなり、コロナ禍もあったことから、親戚同士で集まる機会は少なくなってしまいました。少しせつない気持ちもあります。

-- 櫻田さんは昨年はご著書も出版され、エコアナウンサーとしてご活躍ですが、今こそ大切にしたいと思う暮らしについて聞かせてください。
櫻田 
親戚同士が集まる機会が少なくなったと言いましたが、これは日本各地で見られる現象で、田舎のわずらわしさを排除して都会に出て、極力関わりを減らして暮らすようになった結果なのだと思います。私も田舎で暮らしていた時のわずらわしさ、余計なことにまで首を突っ込まれる鬱陶しさのようなものは体験しましたからわかるんです。でもそれも今だったら笑って対応できるかなと思うんです。
先日、農学博士の澁澤寿一先生(渋沢栄一さんのひ孫)から、「循環する時間の大切さ」について講演で聞かせていただく機会がありました。前に進むことを第一に暮らしてきた時代から、循環する時間を大切にする暮らしへ……。私がエコアナウンサーとして常日頃向き合っているSDGsをジブンゴトにする暮らしともつながります。経済や資源の循環もそうなのですが、人がその地でどうやって生きてきたのか、文化や歴史をつないでいく時間も「循環する時間」であり、大切にしたいものだなと感じたんです。

-- 忘れられない味を継承するとか、シェアするというのは、もしかして循環する時間の一つだったりするのかも!?
櫻田 
そう思います。物理的な距離があったとしても、思い出したり共有したりして、久しぶりに会いたいと思えるのもいいですね。

-- 私もまずは秋田出身の父に、能代うどんって知ってる? と連絡してみようと思います。今日はじんわり沁みるお話をありがとうございました。

イラスト/Miho Nagai

櫻田彩子(Ayako Sakurada)さん

東京都文京区在住
子と朝のラジオ体操に参加、3年継続中!

エコロジーと持続可能な社会のためのエコノミーを考え応援するエコアナウンサー。

1998年から8年間テレビで天気中継を担当、気候変動を肌で感じ、サステナビリティ、SDGs などに関わる NPO/NGO に参画。

わかりやすく楽しく得るものを!をモットーに将来世代のため今を生きる私たちのためのイベントの司会やファシリテーター、小学生~80 代の方を対象にした講座やワークショップの講師を担当。家族共通の趣味は釣り。社会課題をジブンゴト化していく過程をともに考えたいと娘に伝える思いで著書に挑戦。
櫻田彩子さんのオフィシャルサイト 

私はエコアナウンサー~SDGsをジブンゴトに~』

櫻田彩子(本の泉社/1,320円)






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