先日、友人と一緒にインスタで見つけたイタリアンの店へ出かけた。彩りも美しく、品数豊富なコース料理を選んだものの、途中から少しずつ違和感が募ってきた。食べ進めるうちに「思ったよりも食べられない」と感じていたら、食事の進み具合をみてシェフが声かけしてくれたので、最後のデザートはキャンセルしてしまった。最初は美味しく感じても、味付けが濃かったのか後半には重たさが勝ってしまった。かつての自分ならなんなく平らげられたはずなのに、今はそうはいかない。体も、舌も、変わってきているのだろう。
そのとき改めて気づいた。「ちょうどいい」とは、決して固定された基準ではないということだ。40代の頃の自分に合っていた量や味が、今の自分には過ぎてしまう。「ちょうどいい」とは常に変化し続けるものであり、その時々の自分と向き合って探し直すものなのだ。
ここ数か月、私はダイエットをきっかけに食生活を見直している。以前は「なんとなくバランスが取れている」つもりで食べていたけれど、栄養の面までは深く考えていなかった。しかし、今回のダイエットで体重よりも体脂肪量、筋肉量を意識するようになってからは、ただ量を減らすのではなく「何を食べるか」を重視するようになった。
食べないことが目的ではない。理想の体をつくることが目的なので、むしろ、必要な栄養素を積極的に取り入れるために食べている。筋肉量維持のためにはタンパク質をしっかり、代謝を助けるためにはビタミンやミネラルを欠かさない。人と集まって食事する時にはふつうに食べて飲んでも、他の日で調整することも苦ではなくなった。ダイエット=我慢ではないのでつらさを感じることもなく、ダイエット前より今の方が心も体も満たされている。うまくいっている証拠に、この2か月で体脂肪量3.5㎏減。
塩梅とは、引き算と同時に足し算でもあるのだと思う。食事だけではなく、人間関係や仕事の取り組み方も同じ。無理に背伸びするのではなく、必要なものを選んで加え、不必要なものは潔く手放す。そのさじ加減こそが、自分らしい「ちょうどよさ」を形づくる。
塩梅は決して一度決めたら終わりではない。年齢、環境によって変化する。だからこそ、これからも柔軟に、自分にとっての「ちょうどいい」を探し続けていきたい。今の私にとって、それは「理想に近づくために必要なものを食べる」という選択だ。食卓に並ぶ一皿一皿が、自分を育てるための塩梅を映し出している。
――塩梅
もとは料理の味を調えることから生まれた言葉。
だが本当の塩梅とは、ただの味加減にとどまらない。
塩梅は、ただの味加減にあらず。
すぎれば苦く、足らねば物足りず。
その時の身、その時の心にふさわしい「ほどよさ」を見いだすこと。
塩梅は定まらぬ。
変わる自分とともに、変わるもの。
探すこと、試すこと、その歩みそのものが塩梅なのだ。

※当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。