ちょっと今から仕事やめてくる ／ 北川恵海

アトリエM_こばやしいちこによるオリジナルブックレビュー。たくさん読んだ本の中から、読者におすすめの一冊をご紹介します。

ちょっと今から仕事やめてくる ／ 北川恵海

通勤時の電車で、カバーなしで読むのは、ちょっと躊躇してしまうようなタイトルのこの本。

青山は中堅の印刷会社に入社して半年のサラリーマン。朝６時に起きてから、25時に就寝するまで休憩したのは、12時から１時間の昼休憩だけ。それだって、上司に声をかけられ15分とられ、残りの45分で安いラーメン屋に並び、吸い込むように胃袋に納めて、会社の喫煙スペースでタバコを吹かせばあっという間に終わる。休めているのか休めていないのか……土曜出勤も当たり前。日曜日だって死んだように眠ってると、部長からの電話の音で起こされ、取引先からのクレームだ！ と言って、怒鳴られる。これだって、辞めてしまった先輩の案件。厄介だからって、部長が押し付けた件だ。まったくもって理不尽。でもこの繰り返しの日々。これってブラック企業でしょ？

やっと帰れる……上司に怒鳴られるのにも耐え、取引先にも、関係ないのに土下座せんばかりに謝って、もう今日は本当に帰りたいんだ、とホームで電車を待っているときに携帯が振動した。もちろん、上司だ。もういい、今日は出ない。出れない。でも明日会社でまた怒鳴られるんだろうな、明日が来なきゃいいのに、ふわふわゆらゆらしながら目を閉じた青山。上半身がホームからはみ出したその時、青山の腕が誰かにつかまれ、グイっと引き戻された。
「久しぶりやな！ 俺や！ ヤマモト！」
偶然にも、『小学生の時の同級生』のヤマモトに再会したのだ。

青山は、このまま目を閉じてホームに落ちれば、明日会社に行かなくて済むし、もう怒鳴られなくて済むな、と思った。それが何を意味するか、その時はもう考えられないほど、疲弊していた。結果的にヤマモトとの再会に命を助けられたことになったのだ。

「いや～、こんな偶然あるんだなあ」と人懐っこい『同級生ヤマモト』に引きずられるように、この日は二人で飲みに行った。でもどうにも全然こいつを思い出せない。小学生の時、同級生にヤマモトっていたっけ……？ いた、かも、しれない。でもヤマモトがこんなに再会を喜んでくれて嬉しそうなんだからきっと同級生なんだろう。かなり親しかったんじゃないか？ 思い出せないのが申し訳ないな。と、二人の交流は、青山の線路飛込未遂事件から再開する。相変わらずブラック企業で働いている青山が「疲れてるから……」と断っても、めげずに「なおさら気晴らしが必要やで」と、ちょくちょく飲みに誘ってくる。上手に話を聞いてくれて、アドバイスと気付かないくらいのアドバイスもしてくれたりもする。休みの日もいっしょに洋服を買いに行ったり、まるでつきあいたての恋人のような頻度。ヤマモトと再会した後の青山は、不思議なことに仕事の面でも徐々に上向きになってきた。何が変わったと言うわけでもない。気の持ちよう？ ネクタイの色？ 新人にしては大きな契約が取れたりもする。

ある時、このヤマモトをネット調べた。すると、三年前に激務で自殺した男のニュースにぶち当たった。顔も青山の知っている、あのいつもの彼だった。
ヤマモトは、同じ境遇の青山を見かねて出てきた幽霊なのか。いや、天使？ ちょっと怖いけど、助けられたのは確かだし……ヤマモトって、誰なの？ 何なの？
なんて、仕事以外のことで青山が悩んでいたが、また会社である問題が起きる。

ブラック企業での激務に耐えかねて、職場の先輩や上司のいじめやのパワハラに悩んで、自ら命を絶ってしまうという痛ましい事件はよく耳にする話だ。
「死ぬのなら、そんな会社辞めちゃえばいいのに。」
それを言ったらオシマイだ。当の本人だって、心の奥の方ではそのことに気づいて、わかっている。
『生活費のため』、『紹介してもらって入社したから』『社会人になった時、親が喜んでくれたから』
人によって事情や考えはいろいろ。

ヤマモトは上手だった。青山が会社を辞める気がないのなら、会社で上手く行くように日々の憂さを晴らしてくれたり、ちょっとした気分転換に付き合ってくれたり、でもあまりにひどいなら、辞めるのも一つの方法だよ～、くらいな感じで話を聞いてくれた。誰かのことを本当に想っている気持ちって、絶対なんか伝わる。青山は何度も救われた。

読んだあと、元気が出て優しい気持ちになれる本。
私も誰かのヤマモトになれますように。