アトリエM_こばやしいちこによるオリジナルブックレビュー。たくさん読んだ本の中かにおら、読者すすめの一冊をご紹介します。
掏摸 / 中村文則
東京を拠点に仕事をする天才スリ師。彼は金持ちからしか盗らない。金持ちかどうか見極め、財布の位置を見えない服の上から予想し、電車の揺れに合わせて、ターゲットの揺れ、筋肉の動きに合わせて鮮やかに、気付かれないように財布を奪う。そして時には、その腕に着けられた高価な腕時計でさえも盗むことが出来る。幼い頃からやっていたことだ。昔は失敗もしたが、もうそのようなことはない。
スリ師は、少なくともこの物語の中のスリ師は、疑われないために、ある程度裕福な格好をしなくてはならない、らしい。でも、逃げることを考えて、足もとは、走り易いスニーカーだ。
ある日、彼はスーパーで、母親に万引きをさせられている男の子を見つけた。そして、その稚拙な万引きが店側にバレていて、今にも捕まりそうになっているのにも気づいた。気まぐれなのか、放っておけなかったのか、彼はその子供を助けた。それにより、その子になんだか懐かれてしまい、母親にあまり良い環境に置かれていないらしいその子に、「これは適さない。こうやるんだ」と、ちょっとしたコツを教えたり、「これは隠しておけ」と、お金を渡したり、「いい、買ってやる」と必要なモノを買ってあげたり、なんだかんだとめんどうをみてしまう。接点を持ってしまったのだ。
孤独を愛する天才スリ師。昔はチームを組んで、1人がスってもう1人に渡し、そのもう1人がお金だけを抜きまた持ち主に返す、なんていう仕事のしかたをしていたが、現在は1人でやっている。そんな彼の前に、かつて仕事をしたことのある恐ろしい男、木崎が現れる。スリ仲間たち誰もが、あいつにはかかわるな、と恐れる男。頬の筋肉1つ動かさず、人を殴ることのできるようなヤツだ。木崎に、あの知り合ったばかりの男の子を殺す、と言われ、木崎の仕事をしなくてはならなくなってしまう。妙に簡単で割のいいシゴト。だからなおさら怖い。やりたくはない……ヤツの仕事を無事にこなせたって、自分も、男の子も助かる、という保証はない。でも逃げたら必ず殺されるだろう。これだけは確かだ。果たして天才スリ師の運命は?
昔、私がまだ学生だったころ、財布を盗まれたことがある。12月。場所は新宿のゲームセンター。友人とカーレースのゲームに夢中で、足元に置いたカバンに注意を払っていなかった。ご丁寧にも、カバンの口は開いていた。さっき、ゲームに小銭を投入したから、カバンの中の見えるところに財布がある。ゲームが終わってふと足元のカバンを見たら、もちろん財布は忽然と消えていた……。
わかってる。絶対私が悪い。不注意すぎる。天才スリ師じゃなくたって、あの状態の私からなら余裕で盗めただろう。十分自分で自分を責めたから、もう、許して。そのあと、友人に付き合ってもらって警察に被害届を出しに行った。悲しかったのは、学生だったからお金はそんなに入ってなかったのだけれど、たぶん、初めての高いブランドのお財布。レノマ。茶色の皮で、大きめの金色の金具がついていて、3万円くらいしちゃったお気に入りの……それを失ったことが、悔しい。よく覚えている。
警察の人にそれを言ったら、
「可哀そうになあ。そうだ、みかんが段ボールにたくさんあるから、3万円分持って行きな」
と、た~くさんのみかんを持たせてくれた。
母親は、私が財布を盗られたのをまだ覚えていて、今でも出かけるとき、
「財布、ちゃんとカバンの下の方に入ってる?また盗まれるよ!」
と言う。またって……あれ一回きりなのに。まあ、一回経験すればもう十分だけど。何十年も前のこと。いつまで言われるのかしら?
いや、母の愛ある注意のお言葉。ありがたく頂戴することにします。