アトリエM_こばやしいちこによるオリジナルブックレビュー。たくさん読んだ本の中かにおら、読者すすめの一冊をご紹介します。
食堂かたつむり / 小川糸
ある日、倫子がアルバイトを終えて帰ると、部屋の中が空っぽだった。家具も家電も、お気に入りの使い慣れた台所道具も、お金を貯めて買った調理器具も。そして、夢のため、節約に節約を重ねて貯めたお金もごっそり全部、大好きだったインド人の恋人とともに、何もかもが無くなっていた……そして、そのあまりのショックに、倫子は声すらも失い、しゃべることが出来なくなってしまっていたのだ。
という、あまりにどん底なところから始まる。幸せで楽しい毎日が、何の前触れもなく消え去ってしまった倫子は、たった一つ残された、大切な祖母の形見のぬか床を抱きしめ、深夜高速バスで実家へ行くしかなかった。15歳で家を出てから10年間一度も戻っていない、自然いっぱいのおかんの家へ……
なにせ、無一文なのだ。心も傷ついている。なんとか働かなくては。おかんと確執があって家を出た倫子だが、きちっと頭をさげて、物置小屋を貸してもらい、小さな食堂をオープンさせることにした。おかんも、諸条件あり(例えば、おかんの愛豚のエルメスの世話をすること、など)だが、許してくれた。倫子の夢は、プロの料理人になり、自分のお店を持つこと。借金まみれだが(おかんに)、ひょんなことから一歩前進した。子供のころからの知り合いの優しい熊さんの協力を得て、倫子こだわりのお店がオープンしたのだ。
店名は、『食堂かたつむり』。それは、1日1組だけのちょっと変わった食堂だ。前日までにお客様と面接をして、何が食べたいか、将来の夢、家族構成など、細かく調査する。そして、メニューを決めるのだ。料理の腕は確かだし、さまざまな料理店でアルバイトを経験し、夢に向けて努力してきた倫子のお店は、この一風変わったコンセプトもあり、滑り出しは好調。また、食堂かたつむりで食事をすると、願い事が叶う、恋が実る!なんていう、妙な噂も広がり、じわじわとお客様が増えて行った。それもそのはず。だって、倫子が、1人1人のお客様のために考え、まごころを込めて作るものは、心に、身体にとても染みるのだ。
お店も順調。確執のあったおかんともなんとかうまくやっている。声はまだ出ないけれど、立ち直りつつある倫子だったが、まだまだ試練はやってくる。でもそんな彼女を救うのは、作るということ、食べるということだった。
私も、そんなに上手ではないけれど料理はする。とくに茶わん蒸しはひんぱんに作る。1~2週間に1度くらい。母が大好物なのだ。そして、わりと料理上手な母なのに、茶わん蒸しは自分では決して出来ないと思い込んでいる。火加減にちょっとコツはあるけれど、簡単なのに。
「は~、やっぱりあなたの作る茶わん蒸しは美味しいわ~。〇〇の花(※美味しい豆腐懐石のお店)の次に美味しいわ~」
次って……まあ、〇〇の花は、とっても美味しいお店で、コースだと、小ぶりの茶わん蒸しがついていて、あれは本当に美味しいから、最高の褒め言葉と受け取った。
でも、母が私の茶わん蒸しを美味しいと思うのは当たり前なのだ。長いこと母のために茶わん蒸しを作ってきた年月。電子レンジではなく、せいろで蒸す。「もう少し卵部分が柔らかめがいい」、だとか、「具は多めがいい」、だとか、「シイタケは甘辛く煮たものより、生のまま薄切りにしたものを入れて欲しい」、だとか、要望に応えてアップデートし、腕も上がってきた。年月をかけて母の思うままのお好みの茶わん蒸しが出来上がってきたのだ。そりゃあ、美味しいはず。
もちろん、茶わん蒸しだけでは食事にならないから、最近、得意料理に加わったほぼエリンギで出来たキーマカレーに、温泉卵をのせて、浅漬けサラダかなんかと一緒にテーブルに出した。
「やっぱり、人に作ってもらうごはんって美味しいわ」
もちろん、美味しいのはそれだけではないと思うけれど、誰かが自分のために作ってくれたごはんが美味しいのは、絶対だ。
いつか、 「〇〇の花の茶わん蒸しを超えたわね」と言われるように、日々精進しよう。