アトリエM_こばやしいちこによるオリジナルブックレビュー。たくさん読んだ本の中かにおら、読者すすめの一冊をご紹介します。
今夜、ぬか漬けスナックで / 古矢永塔子
槇生が、子供の頃から何年も音信不通だった母親が亡くなった、という報せを受けた時、、彼女は、仕事も、住むところも失ったばかりだった。母がいなくなったあと、育ててく
れた祖母も数年前に亡くしていて、どこにも頼るところがなかった。おまけに身体の調子
も普通じゃない。これ幸い、と言ったら母に悪いが、死ぬ間際まで母が暮らしていた瀬戸
内海の島へ、ある企みを持ってやって来た。
連絡をくれたのは母の夫。なんと、母は、娘である自分よりも年下の青年、伊吹と自分
の知らない間に結婚していた。彼が、妻を失ってすっかり憔悴しきっているのをいいこと
に、槇生は2人が暮らし、営んでいた小さなスナック兼、住居に転がり込んだのだ。祖母
から引き継いだぬか床だけを大切に抱えて。
自分が連絡して呼んだとはいえ、急にやってきた初対面の人間。そして、一応、戸籍上
は娘にはなるが、どんな危険人物かもわからない人間が「行くところがないんで、しばら
く住まわせてくれ」と言い出した。こちらが心配になってしまうくらい気弱で優し気なこ
の青年は、常識はずれなこのお願いを聞き届けてしまった。こうして、槇生と伊吹の同居
生活が始まったのだ。
こんな形で始まった2人の生活だが、思いのほか、順調だった。伊吹から聞く母の話は
、自分の知らない悲しい、そして強い、女性の話だった。母と伊吹の2人の馴れ初め、自
分の知らなかった母の本当の気持ちや素顔がわかるにつれて、母に対して頑なだった槇生
の心もほぐれていく。
惚れ切っていた妻を亡くして弱っていた伊吹も、だいぶ元気を取り戻し、槇生の手伝い
も得てスナックを再開することにした。そして、槇生の漬けるぬか漬けが評判になり、徐
々にお客が戻って来る。
口は悪いが根は優しい島の人たちと、喧嘩しながら、交流しながら、島での暮らしは概
ね上手くいっている。忙しく、割と楽しい日々だ。ある心配事ひとつをのぞいては……
『足し塩』や、『捨て漬け』、『差し水』など、各章のタイトルがぬか漬け用語(と言
うのがあるかわからないけれど……)となっているこの小説には、もちろんふんだんに
ぬか漬けや、ぬか床あるあるが登場する。私もぬか床経験者だ。
私の祖母が生前、ぬか床を持っていて、それがとっても美味しかった。本当に、違うの
だ、味が。手が良かったのだろうか?お料理があまり上手でなかった祖母だったが、ぬか
漬けのお新香だけは、娘や孫たちに争うように食べられていた。私の好みは古漬けで、生
姜、胡瓜、大根、茗荷を長めに漬けてもらって、それを細かく切って混ぜたものなんて、
ご飯のお供として日本一だ。小学生くらいの頃、歩いて5分くらいのところに住んでいた
祖母の家に、古いのはないか~、もっと漬けたのはないか~、とせびりに行ったもんだ。
大人になって、自分でも漬けてみたくなって、祖母のぬか床を少し分けてもらってしば
らくやっていたことがある。それなりには美味しかったけれど、やっぱり違うのだ。年季
もそうだと思うけれど、やっぱり手も関係するんだろう。
生き物だから、思っていたより手がかかった。毎日混ぜなくてはならない。清潔な手で
あることはもちろんだが、化粧品のにおいなんてぬかにうつったら大変だから、スキンケ
アの後は混ぜられない。旅行などで数日留守にしたりすると、へそを曲げる。そのご機嫌
取りも大変だ。何回も危機を迎えたりして、数年頑張ったけれど、なんだか結局やめてし
まった。
でもやっぱり時々無性に食べたくなる。
今でも祖母のぬか漬けの味は覚えているし、やっぱり日本一だと思っている。