アトリエM_こばやしいちこによるオリジナルブックレビュー。たくさん読んだ本の中かにおら、読者すすめの一冊をご紹介します。
わたしの容れもの / 角田光代
物語が好きで読んでいた作家さんの、エッセイまでもが面白かった(私の好みだった)時、とてもとーってもうれしい。出会ってしまった!と言う感じ。なぜなら、必ずしもそうとは限らないから。
そうして出会ってしまっている角田光代さんのエッセイ『わたしの容れもの』。これは、わたしが入っている容器、要はカラダのこと。加齢によって出てくるさまざまな不調、衰え、を、悲壮感を感じさせずに冷静に面白がって書いている。わかるわかる、というポイントがたくさん。食の好みが変わるとか、体重が落ちなくなるとか、近くのモノが見えなくなるとか、あちこち痛いとか。さすが作家と言うべきか、角田さんは、自分の体の変化を冷静に見つめて、そして面白がっている。
角田さんは、40歳を過ぎて、豆腐の美味しさに気づいたのだそうだ。それも、ある日突然、「お?」と言う感じで。私にもそういう食べ物がある。茗荷、だ。子どもの頃は、嫌いだった。たまにお味噌汁に入っていたりすると、がっかりとしながら、鼻をつまんで飲み込んでいた。それが、20代くらいだったかな、茗荷って美味しい・・・と気付いたのだ。天ぷらやら、そうめんの薬味やら、茗荷ブームは今現在まで続いている。
体重だって、減りゃあしない。運動したって減らないんだから、もうしなくていいんじゃないかとも思うのだが、まあ、何か健康にはいいんだろうと思って細々とは続けている。
好きな言葉が変わるという話も面白い。カロリーオフとか、デトックスという言葉に魅力を感じるようになってしまった角田さん。私は、カロリーオフにはあまり魅力は感じず、濃厚、とか、こってり、とか言う言葉の方に魅力を感じてしまう。でもデトックスはわかる。私も好きな言葉だ。たまに、おしゃれなカフェで、出してくれるお水が「デトックスウォーターだったりすると、すごく得した気分になるし、半身浴は大好きだ。マッサージ屋さんで、施術後、
「今日はたっぷり水分を摂って、身体の毒素を出してくださいね」
と言われるんだけど、これもすごい忠実に守るし。
と言う感じで、「そういうのあるよね」「わかるわかる」「私はね、」と、おしゃべりしているような気持ちで読めるエッセイなのだ。
「最近、脂っぽい肉、ダメだわ~」とか、「食べる量、減ったわ~」とかというのは、仲間内でよく聞く言葉だ。
しかし、私は困ったことに、それには同調できない。肉はロースよりカルビだし、食欲は落ちない。そして、もっと困ったことは、代謝のほうはしっかりと落ちた。運動しても、体重が落ちなくなったのだ。本当に困る。
しかたがないので、毎日飲んでいる缶ビールを、週末だけ飲むことにした。
家で、母にそう宣言したら、
「え……今日、鍋なのに……?」(冬だった)
と、なぜだかしょんぼりとつぶやいた。うん、たしかに、鍋には冷たいビールだ。仕方がないので、鍋の時は、週末じゃなくてもヨシとした。
また別の平日、「今日は唐揚げだから飲むでしょ?」と当たり前のように言われ、うんうん、確かに、揚げ物にはビールがないとだめだ。これもヨシとした。
刺身の日、焼きそばの日、餃子の日、そんなこんなで例外が増え、もうなんだかわけがわからなくなり、なぜか、私が飲まない、と言うと、がっかりしたような顔をする母に背中を押され、いいや、飲んじまえ、と、今では週に一日飲まない日を作るのがやっとだ。仕方がない、これも親孝行だ。
健康でも、元気でも、年齢を重ねれば、やはりそれなりにいろいろなところに支障が出てくる。それは仕方がないことだ。そういうもんだ。嘆いたり落ち込んだりせずに、そういうのとも明るくうまく付き合っていこう。