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珈琲カップの生きる道

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

出張先で仕事を終え、京都の街をぷらぷらしながら、そろそろ小腹が空いたなと、
ランチを食べられる店を探した。
パソコンを開いて作業したい気もするけれど、それよりはせっかくだからの気持ちが強くなるのは、旅先だから仕方ない。

何も下調べせず、ぷらぷらして、ここだというところに入ろう。
後でカフェに行く予定もあったが、アーケード商店街の中にある喫茶店に入ることにした。
オムライスとかカレー、ミックスサンドなんかがメニューにあって、
おいしい珈琲がメインの喫茶店だ。
普段はほとんど注文することのないオムライス、ふわとろじゃなく、チキンライスをしっかり玉子で巻いたタイプのやつを注文し、一人でゆっくり味わった。
食後の珈琲を楽しみに待ちながら。

食後に出された珈琲がこれ。

カップ&ソーサーが素敵だ。
当然、コミュニケーション取りたい病の私は、それまで黙って食べていた反動も手伝って、
「素敵なカップですねー」と声をかける。

客に合わせて違うカップ&ソーサーで提供してくれる喫茶店というのはよくある。
これは何気ないけれどとても嬉しくて、好みの色や柄のもので提供されれば
「わかってるね!」と心の中でつぶやき、
意外な色や柄のカップで提供されれば
「ふぅん、そうきたか」なんて心の中でつぶやく。
こういう喫茶店のマスターやママさんは、向こうから余計なことは言わないのが大概なので、なぜそれを選んでくれたのかは知る由もない。

季節外れではあるけれど、美しい桜の風景がデザインされたカップ&ソーサーが
明るい気持ちにしてくれた。
これらのお店で使われているカップは、オーダーで制作依頼している京焼 陶あん(清水焼)の作品だということを教えてもらった。
そういえばカウンターの背面棚に並んだカップ&ソーサーには、「京焼 陶あん」と札があり、それぞれの価格が書かれていた。
どれも素敵なお値段だった。

でもお値段以上に素敵なのは、その口あたり。
少しポテッとしているけれど、唇にやさしくあたる感じがいい。
私に提供してもらったカップ&ソーサーはとびきりいいお値段であるらしいことを
ママさんが教えてくれた。
「持つ手が震える……」と私がおどけて返した言葉には特に耳を貸すでも、相槌を打つでもないけれど、ママさんは京焼 陶あんについて続けて説明してくれた。

これらは、とてもいい食器なのだが、とても破損しやすいらしい。
コツンっと少し当たっただけでも破損してしまうことがあるという。
ある時、お店に来たお客さんが、カウンターの背面棚の一部に置かれているカップを見ながら
「あのカップは使わないの?」と聞いた。
少しフチが破損しているため使えないのだと説明すると、
そのお客さんは自分が金継ぎしてあげると申し出てくれたそうだ。
以来、破損したカップはよみがえり、魅力を増しながら
お客さんが大勢来店したときは、それらを使う機会もあったという。

金継ぎは、体験教室などを含めて今、とても人気だ。
外国の方からも注目されていると何かの番組で見たこともある。
手を加えることでモノがよみがえり、新たな魅力を増すという幸せ。
素敵なご縁による、素敵なモノとの付き合い方だなと一人ふんふん言っていたら、
女将さんが「あ、でもね……」と話しを続けた。
「たった一人だけ、あることを言った人がいて驚いたのよ」という。

あるお客様が金継ぎされたカップ&ソーサーを手にして
「こうなってしまうと台無しね」

完全なものでなければ価値はないと感じる人はまあ、いるのだろう。
でも「台無し」とはなかなかどうしてインパクトのある表現だ。
自分に金継ぎされたものじゃないカップが出てこなかったことが不満だったのだろうか。
ママさんは、思いもしなかったことを言われてとても驚いたという。

美味しい珈琲と懐かしい味のランチを食べ終え、その喫茶店を出た。
こういうお店に通うことが出来たらいいだろうな。
金継ぎのカップで出てきたら、帰りに宝くじでも買っちゃったりしてね。