日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
2020年、コロナ禍で、劇場はクローズし、あらゆるエンターテインメントが公演中止を余儀なくされた。
それを機にエンタメ業界から離れた人も少なくない。
中止や延期になった公演が2年ぶり、3年ぶりに幕を開けているものもあれば、
幻となったままのものもある。
それは、帝国劇場とか歌舞伎座とか、本多劇場とか、梅田芸術劇場、大阪城ホールとか、そういう場所で上演される予定だったいわゆる演劇、ミュージカル、コンサートだけの話ではない。
年に一度、いや、数年に一度開催予定だったほとんどすべての催しが影響を受けたのだ。
ここからしばらくの間、きまぐれ短期連載としてお届けしたいのは、私の母が出演した
一世一代の晴れ舞台、浅草公会堂で開催された舞踊の会を、一日付き人として見た舞台の表と裏の話。
基本は親孝行、でもギャラはない代わりに、取材モードでネタ集めもさせてもらうことは
了承済みだ。
よろしければお付き合いのほどを。
母は、83歳になった。
本来ならば3年前、80歳の時にその舞台に立つ予定だった。
しかし、冒頭にも書いたように、あらゆるエンタメがストップしたその年に、
その日本舞踊の会も公演延期となった。
浅草公会堂は、若手の歌舞伎役者が努める新春浅草歌舞伎も上演される老舗の劇場。
これまでも母は何度か、習っている踊りの会でここで踊っている。
今回は、新名取として出演を予定していた。
コロナで本番はおろか、お稽古もストップした。
普段のお稽古は公共施設(公民館)などを使うことがほとんどだったから、
なかなか再開しなかった。
師匠も弟子も年齢層高めなので、じゃあZoomでお稽古ね……とすぐにシフトできるわけもなかった。
外出だってままならなかったのだから。
その後、延期になった公演は、浅草公会堂の改修工事期間と重なり、会場自体も変更が予定された。
日本橋の三越劇場になったと聞いた時は、それはそれで素敵ね! と、観劇好きの私としては一瞬テンションがあがったが、
結局、その日程もまた中止となる。
この辺りは、コロナが終息しないことで、あらゆることを経験した皆さんなら想像に難くないだろう。
3度の延期を経て、2022年、ようやくその会が開催されることになった。
結果的に、改修工事を終えた浅草公会堂がその晴れ舞台の場となる。
母は83歳になっている。
以前出演した時の演目でも、カツラや着物が重そうで、見ているこちらがハラハラしたのに、その年齢を考えると不安しかない。
しかし、その日に向けて練習に励み、覚えられないと不安を口にしたり、
細々とお金がかかると本音をもらしたりもしつつ、
とにかく母の当面の目標になっていたのだ。
その報告をいちいち聞く度に、私が母のその歳まで生きるとして、
同じように生きがいを持って頑張ったりできるだろうかと思う。
その原動力はいったいどこにあるのだろうか。
当日、行きの電車で母が踊りをはじめたきっかけを聞くことにした。
(つづく)