日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
元日の午前中、氏神様に詣でた。
元日をわが家で過ごすのは、義母が骨折して入院中に迎えた2019年の正月以来だ。
でもその年は入院中の義母を見舞った時に見た、年越しそばを驚くほど不味そうに食べた
不調の義母のことを思い、気分は晴れない正月だったことを記憶している。
手帳を遡ってチェックしたら、その年の元日は夫は仕事で、私は一人家でPCに向かっていたとある。
つまり、今日のような正月を迎えたのは、初めてのことだということがわかった。
雲一つない青空の中、普段はひっそりとしている氏神様には鳥居の手前から長い列が出来始めていた。
家族で、夫婦で、愛犬を連れて……。
静かで穏やかな時間だ。
私たちの前に並んでいたのは4人家族、父・母・兄・妹のようだった。
徒歩数分の場所にある気楽さもあって、ラフなスタイルで出かけていた私。
ふと見ると前にいる息子さんが私とまったく同じ色、同じ形の某メーカーのパンツを履いていることに気づいた。
まあ、そんな人は五万といるのだろうけど、「どうか気づかれませんように」と
鳥居の前でちょっと祈ってしまった。
列が進み、無事に参拝を終えたところで、地元の有志の方がお神酒と甘酒を振る舞っていた。
私たちもたいてい毎年甘酒をいただいている。
「お車の運転がない方はお神酒もどうぞ」とお父さんが参拝を終えた人に丁寧に声をかけている。
でも圧倒的に皆、甘酒の方へ。
「甘酒どうぞ、召し上がっていってください」というお母さんの声の方が、こころなしか明るく聞こえ、「お神酒もどうぞ」の声に焦りの色が出ている。
いや、そんなことは本当はなくて、ただただゆく人に丁寧に声をかけてくれているだけなのだけど。
「せっかくだからお神酒、いただかない?」私が提案した。
新年早々この使い勝手のいい「せっかくだから」を発動した私の提案に、特に酒好きでは
ない夫も同意した。
プラカップに入ったお神酒は、青空のようにスッキリと飲みやすかったし、ありがたかった。そして予想以上に量が多かった。
私たちの後につづく人はしばらくなく、皆、甘酒の方へ。
ほらね、私たちがお神酒をいただいたから、お父さん少し嬉しそうだったでしょ!
と心の中で思った。おそらくは気のせいなのだが。
そして甘酒をいただきたそうにしていた夫の腕を引っ張り、少し戻って甘酒のテーブルへ。
「お神酒をいただいたんですが、甘酒もいただいてもいいんですか?」
「もちろん、どうぞどうぞ!!」
こうしてお神酒で清め、甘酒でしっかりと感謝を染み渡らせて氏神さまをあとにした。
穏やかな一年となりますように。
エンタラクティブ・ライフもまた今日からの一年、どうぞよろしくお願いいたします。