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引き出しとフックを見つけた! 「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」 

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

「空想旅行案内人ジャン=ミッシェル・フォロン展」を見に行った。
場所は東京ステーションギャラリー。
フォロンは1934年、ベルギー生まれのアーティスト。淡い色彩と少しの不気味さが共存していて、展示会の名の通り、空想、想像力を働かせてみたくなる作品が印象的。絵本の世界のように見える作品がメインビジュアルに使われていたこともあり、初めて触れることにした。フォロン展はプロローグ、第1章から第3章、エピローグで構成。
水彩画、ポスター、彫刻や手紙など全部で297点が展示されている。
そのうち「無題」の作品が148点(数え間違いがあるかも……)

「無題ばかりだね‥・…」と話しながら見たが、タイトルをつけないことで、解釈を自由にしてもらうというねらい、なのだろうか。実際、作品を見ながら、まず目の前に見える事実を思わず声に出し、こういうことかもしれない、ああいう風にもとれると、言いたくなる作品が多かった。

もちろん、ほかの人のお邪魔になってはいけないので、小声でしたけれど、
見ながら頭の中で「うーん」と考えるのもいいけれど、私たちみたいに複数の視点で見るのもいいんじゃないかなぁ。だってね、案外自分だけでは見逃すのだ。気になるポイントが同じだったり、違ったりして、ブレストみたいで面白い。フォロン作品にたくさん登場するのが、リトル・ハット・マン。その名の通り、帽子(ハット)をかぶり、コートをまとった割と大柄な人。おそらく男性のような……。
絵の中の主役のように描かれていることもあれば、景色の中に実はいるという作品もある。私が子どもで、展示作品が絵本のように綴じられていたら、ページをめくるたびに

「あ、リトル・ハット・マンいた!」「ここにもいるよ。あれ?これにはいないねー。」
なんてやりたくなるんじゃないかなという感じ。

フォロンの絵には、身近なものが描かれているものが多い。

タイヤとか文房具とか信号とか、いろいろ。
それがそのままの形ではなくて、
一部だったり、別のものに形を変えていたり。とてもわかりやすい例で言うと、自動車(特に軽自動車)って、正面から見ると顔に見えることがある。後ろ姿も顔に見えることもあって、そう思えてしまうと、その先何度見てももう顔にしか見えないという経験、誰でもあるのではないだろうか。そういうものが描かれていたりして、とても親近感が湧くのだ。
なんでもかんでもがそう見えていたら忙しいというか、しんどいこともあるかもしれないけれど、そんな風に見ていいんだよと言われる赦しみたいなものも想像してしまう。と、プロローグのエリアだったろうか、整理収納アドバイザーである私たちが思わず反応してしまう作品があった。体は「リトル・ハット・マン」のような体格で、でも頭の部分は顔ではない何かになっている作品がいくつかあるのだが、私たちが思わず反応したそれは、
・頭の部分が引き出し
・頭の部分がフック引き出しは高さのある、レターケースのような細かいもの。

頭の中は、しっかり整理されているということか、

悩みが何通りもあるというかことか、
でも引き出しの中は案外ぐちゃぐちゃかもしれないし、
引き出せないほどギュウギュウだったり、
せっかく引き出しがあるけれど、案外大したものが入っていない段もあったり、などと、整理収納あるあるをいくつも思いついて、空想してしまった。

フックの方は
引っ掛かっていることがあるということ?
すぐに取れるようにしておきたいものは何?
フックの位置は可動か固定か
木製かスチールか

などと、デザインから用途まで勝手に空想してしまった。

うん、空想旅行案内人というタイトル通りだ。
たくさんの作品を見進めていくと、フォロンが手がけた雑誌の表紙や世界人権宣言のための挿絵など、さまざまな仕事をした足跡がわかる。

タイトルがあるものも、無題のものも引き続きあるけれど、きっとこれらの作品をきっかけに
いくつものディスカッションが、たくさんの場所で行われただろうと想像できる。
しっかりじっくり見た。

ガーンっと打ちのめされる衝撃を感じるとか、ただひたすらにその美しさに溺れるとか、
そういう類とは異なる、考える自由、想像する自由をもらった時間だった。

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」

会場/東京ステーションギャラリー
会期/2024年7月13日(土)~9月23日(月)
時間/10:00~18:00(金曜日10:00~20:00)