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放っておかれたシアワセ

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

これは実家の庭の紫陽花。
父の病院検査に付き添った日、庭に咲いていた紫陽花を「欲しい」とねだり、切ってもらった。
三人兄弟の末っ子。歳が少し離れた兄が二人いると言うと昔から大抵、いや、必ず
「それはそれは可愛がられたでしょう」と言われた。
それを言われると大抵、いや、必ず
「そう思うじゃないですか! でもわが家はそういうの一切なかったんですよ」と答えてきた。「可愛がられた」の言葉には、猫っかわいがりの印象があって、本当にそんなことはなかったので、全力で否定してきたのだ。

でも、卒寿を迎えた父がせっせと庭に出て、白い紫陽花とピンクの紫陽花をすぐに切ってくれる姿を見て、これからは全力で否定しないでいようと思った。
「娘にだけは甘い……みたいなことはなかったよ」とは多分言ってしまうだろうけど。

仕事を通じて出会うプロフェッショナルに、「その仕事をはじめたきっかけ」をうかがうことはよくある。
結構な割合で聞くのが、親の影響だ。音楽に携わる人なら、「家ではいつもビートルズが流れていた」とか、舞台に立つ人なら「幼い頃から親が劇場に連れていってくれた」とか。
エンタメに限ったことではない、今の自分があるのは親の仕事や趣味・嗜好が大きく影響しているということが本当に多い。
私にはそれがないことがとても不満だった。いや、不満とは違うな、なんかちょっと残念だった。そういうエピソードが自分にも欲しいと思っていた。

でも、逆に言うと何を好きになるのも止められることはなかったので、思う存分好きなことにハマれたことが今の私を作っている。ありがとうの気持ち。特にサポートはしてくれなかったけど、放っておいてくれたのが、私にはよく作用したんだ。

紫陽花を切って持たせてくれた父は、本をよく読む人だ。一時、時代小説を父から借りて一生懸命読んでいたことがあったっけ。きっかけは好きな俳優さんがドラマで主演する作品の原作だったから……みたいな理由だったけれど。

父は今、毎月「文藝春秋」を読んでいると聞いたので、その話をしてみた。
「文藝春秋は買うと結構端から端まで読んでるの?」と聞くと、
父は「全部読んでる」と得意気に答えた。
毎月、本屋に買いに行くのが楽しみなのかなと思い訊ねると、なんと定期購読しているのだそうだ。
芥川賞受賞作品がいち早く読めるし、定期購読だと特別号のプラス料金がかからないだとか、年頭にカレンダーがもらえるとか、いろいろ得意気に説明してくれた。

その後も、昔から読書が好きだったのかとルーツ的なことを聞いてみたけれど、大してエピソードはなかった。
思えば「本はよく読みなさい」とか言われたことも一度もなかったし、この間読んだ本がとてもためになった、とか、感動した……みたいな会話もしてこなかった。

そもそも娘がどんな仕事しているか、知っているのだろうか?
あえて黙っているわけでもないけれど、興味もないみたいだ。まあ、元気で暮らしていればそれでいい……ってことなのかな。

でもいいか。少なくとも「実家の庭を見て、紫陽花が欲しいとねだる娘」であることは知ってくれているだろう。
明日あたり、また電話をしよう。
この間、切ってもたせてくれた紫陽花、水揚げがうまくいって、きれいに咲いてるよと伝えよう。今月の「文藝春秋」、なにが一番よかった? とも聞いてみようかな。
私が何歳になったかということは、まあ、もういい歳として放っておこう。