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卒論、引っ張りだしちゃいました!?

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

実は少し前、実家の押し入れからいくつかの私物を持ち帰ってきた。
思い出のモノ、というやつだろうか。大きな押し入れに、長きにわたり保管というか、そのままにしていたものだ。
その持ち帰ってきたものの中に、卒業論文があった。
紙にはすっかり染みが出て、保管状態は良いとは決して言えない。

国文学科で中世女流日記のゼミに在籍していた私の卒業論文は「竹むきが記研究」だった。
本当に情けないというか、恥ずかしい話だが、
アルバイトと部活動しかしていない学生生活だったので、学んだことはほぼ覚えていない。
卒業論文を書くにあたり、それを空で声に出して読めるぐらい読み込んだ……などということは
まるでなくて、今、改めて読み返して「ふーん、そうなんだー」ということだらけだ。

それでもせっかく原稿用紙44枚分の文章が出てきたから、何か今に通じる部分はないかを
探してみることにする。

ちなみに『竹むきが記』とは、日野資名(すけな)の娘で、西園寺公宗の妻、日野名子(ひのめいし)が上下巻で残した回想的日記。
上巻は光厳天皇の内侍典侍(ないしのすけてんじ)として経験したさまざまな行事について細かく記され、
下巻では夫の悲劇と息子のために尽力した数々の出来事と思いが書かれている。

とあった。読み返して、わかったことだ。なんか、申し訳ないけど。

でもこの日記は、中世女流日記の中ではとても地味で、資料もとにかく少ないと言われていた。ではなぜこのタイトルを選んだか。

いろいろ忘れているけれど、それはハッキリと覚えている。
地味で資料も少ない、だから人気がない。
つまりほかの学生と被らない。この一択だった。

事実、この年、同じゼミの中にこの『竹むきが記』を卒論に選んだ人はいなかったはずた。
あぁ、まったくもう、完全にこの段階で今の私は形成されていたのだとわかる。

せっかくだから、その原稿用紙44枚の中から、今読んで「ほほぅ」と思えることや、
今に続く何かが見つかるか、少し探してみようと思う。
そしてふたたび、この作品を読み返してみたいと思うか否か。
今日のところは、読み返してみたい度、5%くらいなのだけれど。

そんなわけで、つづく……かも。