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これ、まんま、今の私か!?~続・卒論引っ張り出しちゃいました

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

少し前、実家の押し入れか持ち出した卒業論文の内容が、哀しいほどに自らの記憶から遠いところにあったという話のつづき
学生が書く論文なんて、蒼くて、生意気で、読むのも恥ずかしい代物なわけだが、
実は今につながっているんじゃないかなということがありそうで、恐る恐るページをめくってみた。

なぜ中世女流日記文学のゼミを専攻したのかといえば、
日記や随筆が、身近に感じられる存在だったからだと記憶している。

私が通っていた学部のマンモスゼミといえば、落語研究会の顧問で名物教授だった方の近世文学、たしか井原西鶴の「好色一代男」などを扱っていたところと、
能狂言、近松や世阿弥などを扱うゼミが人気を誇っていた。

人気のあるところを避ける傾向はこの頃からあったのだが、今、思えばなんともったいないことを……ではある。

でも、日記や随筆は、翻訳するみたいで嫌いではなかった。
特に女流日記は、業の塊だったり、あまりにもストレートだったりして、ちょっと面白いと思えたのだろう。
枕草子を現代語で訳したものなどが大流行りをしたのも影響していたに違いない。

そんななかですこぶる地味な『竹むきが記』を取り上げた。
以下、私自身が書いた卒論から引用し、ツッコミを自分で入れてみたい。

上巻の約半分を過ぎた時点でこの日記は女性らしさは見えるものの、文学としての面白みに欠けるという評価を免れえない。そこで注目したいのは、このエピソードである。
(中略)
そばに控えていた女房は、名子(作者)から見れば新参者である。
その女房が御簾を巻き上げようとして口にくわえた袴がはずれてすべり落ちたというのは、まるで舞台での喜劇をみるような一幕である。

この頃、私がどれくらい舞台を観ていた経験があるかといえば、
たったの6作品だ。喜劇、一幕とそれらしく書いているけれど、要はドリフのコントみたいなイメージだったのだろう。
それでも

実際、文中で名子はこの女房の失敗について「あきれたことだ」と表現しているが、一方で、これが女房としては死ぬほど恥ずかしい失敗であるだろうという文も添えている。
これは宮仕えを経験したことのあるものには特に理解できるエピソードなのではないだろうか。
またこのような失敗に際しても、その場に居合わせた高貴な方達はつい笑ってしまっていたというのだから、宮中の和やかなムードも想像できる。

結局、新人の失敗を記録して、面白エピソードとして紹介しているけれど、それによって共感を促したり、へーそんなこともあるんだ……みたいな興味を惹きつけることができたのではないかとそれっぽく書いていた。

なんか、これ、まんま、今の私か!

さらには、これを書くことで、名子自身は「私はちゃんとこなして上から認められてきたけどね」みたいなちょい自慢も入っている、みたいなことも書かれている。
え、それ、まんま、今の私か?
日記を書くなんて、承認欲求高め&自己肯定感の塊ってことか!!!

と自虐的にツッコミを入れたところでそろそろ終わりとしよう。
でも、いつの世だって、自分のしてきたこと、周りがしていることをしっかり客観的に見て、振り返って、まずは自分で納得すればいいんだよって思う。
紫式部さんだって、清少納言さんだって、日野名子さんだってそうだったのだから。