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赤いユスラウメの記憶

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

わが家のワイルドな庭に、今年はたくさんのユスラウメが実った。
いや、正確には昨年も実っていた。
けれど、もう少し熟れるまで待とうと思っていたら、鳥に大半持って行かれてしまったのだった。今年は昨年の剪定も効果があったのか、さらに枝ぶりが良く、花もたくさん咲いたし、
その分、実もたくさんついた。
赤くなり具合をチェックしながら、「よし!」とばかりに収穫した。

私には大好きなユスラウメの記憶がある。

実家にはユスラウメ(当時はヤスラウメと呼んでいた)の木があった。

幼い頃の実家には、ガレージを囲むように植え込みがあった。
サクラ、アジサイ、そしてユスラウメ。
ウメ、アジサイ、ユスラウメだったろうか。
ガレージを改装した時に、庭木を移植したので記憶が曖昧だ。

でもとにかくユスラウメは比較的日当たりの悪いところに植えられていた。
だから花の記憶は全くなく、でも6月になると赤く可愛らしいさくらんぼみたいな実をつけた。柵につかまらないと上がれない狭い植え込みだったので、
まだ小さかった子どもが収穫に一役買った。
ユスラウメは手で触れると簡単にポロリと穫れるので、楽しくて次々と金たらいに実を入れていった。


ユスラウメはその可愛らしいビジュアルに反して、さほど美味しくない。
香りはなく、甘酸っぱい。なんならちょっと渋みもあるような。
小粒で可愛いのになぁと、わかっていながら何度もつまんで食べては騙される。
でもそんなことは許せてしまうほど私には大好きなユスラウメの記憶がある。

それは、私が幼稚園の年少「さくら組」のときのこと。
ビニール袋いっぱいのユスラウメを幼稚園に持って行った。
私はその幼稚園の担任の先生が大好きだった。明るくて、やさしくて、元気で。その日私が持参したユスラウメは、給食の時間にクラスの皆のパン皿に2粒ずつぐらいちょこんと配られた。

今ならありえないこと。アレルギーがあったらどうする、不衛生ではないのか、農薬使っていませんよね? など、とにかく大問題になるだろう。
でも、そんなことが微笑ましい6月のトピックになる時代だった。園のれんらくちょうに、先生が「今日は〇〇ちゃんがもってきてくれたヤスラウメをくばって、きゅうしょくのじかんにみんなでたべました。あまずっぱくておいしかったよ」
と、内容はさすがに記憶していないので、適当に作文してしまったが、
先生に感謝され、お家の人にもありがとうございましたと伝えてね……みたいに言われて、とても得意顔で帰ったのではないかと思う。

記憶はただただ私の中で美化されて、肥料をあげなくても枯れることなく育っている。
今年大量に穫れたユスラウメは、その日のうちにジャムにした。
びっくりするほどきれいな色で、びっくりするほど美しくゼリー化した。
お友だちにいただいたカンパーニュに塗って食べたら、びっくりするほど美味しかった。

そのおかげで私の中でユスラウメはもっともっともっと美化された。