理由あって週イチ義母宅に通っている。
これは、主にその週イチに起こる、今や時空を自由に行き来する義母とその家族の、
ちょっとしたホントの話だ。
思い出話も少しずつ出来なくなってくる。記憶というのは、歳を取るということはそういうことだ。
法則のあるようなないような行動の端っこを掴みつつ、自分にストレスのかからない術をちゃっかり模索しながら、週イチ義母宅通いは続いている。
いつもの曜日にどうしても外せない予定があるときは、デイの日を入れ替えて対応する。
たぶん私達は律儀な親族の部類に入るだろう。
義母は私と違い、キレイ好きだ。その日も朝刊の入っていたビニール袋に、ゴミ箱のゴミを詰め出していた。
慌てて、「じゃあココに入れて!」と指定のゴミ袋を渡す。
その作業が終わるとすぐに手持ち無沙汰になる義母に私は作り置きおかずを調理しながら、「お義母さん、じゃあさ、トイレのゴミ箱の中身もその袋に入れてもらえる?」
そうお願いした。すぐに返事が返ってくると思っていたら、義母は反応しない。
「トイレにあるゴミ箱のゴミ、集めて欲しいの」
再度頼むと「そういうのは私は、やらないんだよ」みたいなことを言った。
「は?お義母さんの家のゴミだよ。トイレにあるから、私がどこにあるか今、教えるから」私の声は少しイラついていただろうか。それが伝わったのかはわからないが、義母はこう続けた。
「そういうのは係の人がやるから。学校でもそうだから」
「は?ここは○○さんの家だから、○○さんがやるんでしょ」
お義母さん呼びから、名前呼びになる私は完全にカチンと来ていた。私にやれと言っているわけではない、恐らくデイサービスでは清掃の係の方か職員の方がしているのだろう。
さかのぼれば学校だって、教師時代もそれは自分の仕事ではなかったのかもしれない。
いや、初めに書いた通り、義母はたぶんどちらかというとキレイ好きで、小さなゴミもよく拾う。
朝から予定が詰まっていて、この日は帰宅後も仕上げなくてはいけない原稿があり、私の心の余裕も足りなかった。頑なに拒否する義母にイラついて
「あー、そうですか、ハイハイ。そういう仕事は私がやればいいってことですね。やりますよ、捨てるだけですからね」
ブツブツ口ごたえをした。すると、義母が腹から出る大きな声で
「だったらやらなければいいだろう!」みたいな言葉を打ち返してきた。
こうなると腹の立つまま「は?」の応酬。
「さっさと帰ればいいだろう」的なことも言われた私は、
「いえ、このまま帰るのは気分悪いので、ひきずるのも嫌なので、私は私の仕事を粛々とさせていただきます」
会話になるような、ならないような、冷たいやりとりを少し続けた。
実際私は、怒りを長時間引っ張るのが苦手だ。意地を張るみたいなことを出来た試しがない。だから、売り言葉は買わずに借りるくらいにする。
義母はなんだか腹を立てたままベッドに横になる。怒りが収まらないのか、混乱しているのかは計れないが、しばらくは目を瞑ってはいなかった。
私は宣言通り粛々と夕方の義母宅ルーティンを進める。もちろんトイレのゴミも集めて袋にまとめた。
夕飯が出来た。
少しの眠りから覚めた義母に、夕飯が出来たと告げ、食卓につくよう促す。
とびきり甘めに作った肉じゃがは義母の好みの味だ。
なめこのみそ汁は2人前作ったので、「なめこ汁だけ一緒に飲んでもいい?」と聞くと
「いいよ」と即答した義母は、甘めの肉じゃがに「美味しい〜」と反応した。
ちょっと芝居がかっていたような気がするけど、こうなることはわかっていたし、こうしようと思いながらなめこのみそ汁を作っていたのだ。
なめこのツルンとした喉ごしに助けられて、その日の忘れたい時間は、いつもより早いタイミングで呑み込むことができた。