理由あって週イチ義母宅 PR

短くてもいいから

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理由あって週イチ義母宅に通っている。
これは、主にその週イチに起こる、今や時空を自由に行き来する義母とその家族の、
ちょっとしたホントの話だ。

2年前の元日のことだ。その年も義母の元には15枚ほど年賀状が届いた。
大半は教え子からのもの。
結婚して10年以上が経過したので、差出人の名前に見覚えはある。

その年もこちらで図柄入りの年賀状を準備し、持参。
お節らしきものを食べ終えた後の有り余る時間に、年賀状のお返事書き大会を催した。

ノートに下書きをしてもらい、それを書き写す作業を繰り返す。
教え子への文面は、私が提案した。
「一応ライターだから、私の案を採用してくれない?」
「そうだね」
この強引な交渉成立は毎週通いがなせる業というところだろうか(笑)。

教え子宛の文面はこうだ。
「88歳になりました。元気にデイサービスに通っています。下の名前」

「元気に」を入れたっけ?
教え子からはこのコロナ禍で義母の安否を気遣うものが多かったので、それにお答えすべく、この2行に凝縮した。

書いたハガキは持ち帰り、私が宛名を印刷して投函の段取りなのだが、ここで数枚だけ?(ハテナ)が出てきた。
夫婦連名のハガキで、100%教え子からなのだが、義母が名前を見てもピンとこない。

ここで、連名だけど男子生徒ではないことが予想できた。
しかし、下の名前を聞いても旧姓が思い出せない。
とりあえず連名で出すか、思い出せないならなしにするか……。

もう一人は、日本語教師として中国に行った際に同じ団だった遠方の方で、こちらは義母の中から丸っと記憶が抜けていて、知らない人扱いになっていた。
鹿肉とか送ってくれた人だったよね……と、口に出してもみたが、まあ返信しなくてもいいのかもね、とやり過ごした。

あと一人は、ヒントが見つからない。

なんとか12枚を書き終えて、お汁粉かなんかで糖分補給をし、お椀を洗うのは義母に頼んだ。

洗い物を終えて再び年賀状に目をやる。
「こんなに届いたの!」と新鮮に喜ぶ義母に、
「さっき返信ハガキを書いたから、これを私、ポストに入れて出しておくからね」と新鮮に説明する。

……と、先ほどわからなかった教え子の旧姓がスルスルと出てきて、手がかりのなかった一枚も、教師仲間だということが判明した。

洗い物が記憶を甦らせるきっかけになったのだろうか。
謎は深まるが、これで改めてミッションが完了した。

そういえば、私の両親からの年賀状を見た時の反応と言えば、
全く、1ミリも知らない人扱いだった(汗
付箋に「晶子さんの両親」とメモして貼ってもらった。
まあ仕方ない。10年ほど前に2~3度会ったきりだものね。

翌日以降も2~3枚届いたようだが、もうそれは返信割愛ということで夫と意見が一致した。
大体、届いたものが全部保管できているかどうかも定かではないので。

あれから2年。
今年の年賀ハガキには、「90歳になりました。名前」
と前年より、前々年より短い文にした。名前も時折書き方を忘れる時がある。
マンツーマンで、それでも10枚くらいは書いただろうか。
2日以降に届いていた生徒には返信を割愛していたからか、届かなくなった人も1人2人いる。
なんとなく綺麗に書けたものをよく話に出てきていた生徒宛にした。

こちらが忘れても相手に覚えていてもらえるというのは、つくづくありがたいことだ。
親になった、孫が出来たと報告してくれた教え子からの便りを
自慢げに話していた頃の義母を、忘れずにいたいなと思う。