気整楽の書 PR

Vol.10『見性自覚』

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今年も坐禅断食に参加してきた。毎年同じくらいの時期に山梨県北杜市のとある坐禅断食会に行きだして6年目、長野県松本市でも数回行ったいたのを合わせると8回は経験していることになる。

2泊3日の会は、出発日の朝の自主断食からスタートする。通常、列車に乗る時はやれ昼食だ、おやつだと色々と買い込むが……、断食期間中に口にして良いものは水と柿の葉茶だけなので、この日ばかりはそれもお預け。毎回、行くときから精神力が試される。

3日間で断食と20分間の坐禅を15回、朝には読経や合掌業などもあり、かなりな修行。それでも毎年行ってしまうのは2つの目的があるからだ。

ひとつは食習慣の見直し。人はどうしてもダメだと思っても食べ過ぎたり飲み過ぎたり、好みの食べ物ばかりを摂ってしまうので、ここに来て一年間で乱れた食習慣をリセットし、見直しするようにしている。食べ過ぎがいつか普通になってしまうという習慣の恐ろしさを知っているからこそ、あえての修行。

そしてもう一つは身体の中からキレイにすること。胃の中を空っぽにしたら明けの食事で宿便を出して腸をキレイにするので、一年間の垢(?!)がゴッソリ取れたような、何とも言えない爽快感があるからそれが癖になり、やめられない。

普段、いかに無自覚に食べているか反省し、食べなくても数日は何とかなることを知ることで精神的にも強くなれている気がするのも良い。

意外と修業的なことが好きだと見性自覚する。

『見性自覚』
自身の生まれつき持っている性質、本性を悟ること。
「見性」は自身の本質を見極めること。
自分の中に本来より備わっている心を自覚すること。

黙々と思うカタチを求めて書を書くこと、着物の色合わせや素材を楽しむこと、思いっきり身体を動かすことなどなど…続けていること、好きなことの中に自分の持って生まれた性質があると思うこの頃。
50才を超えても自分を知ることで発見があり、それが面白い。
自分の良いと思える本質を伸ばしていきたいからこそ、素直にそれに従うことにする。

そんなわけで、もちろん来年の坐禅断食会も年間スケジュールに組み込み済みだ。

書・文・松杏
子供の頃から文字を書くのが好き。小学生で習っていた書道を40歳過ぎて再開。文字の美しさ、墨の表現力に魅了されている。
書と整理収納の共通点は余白とバランス。