私のアンフォゲ飯 PR

ちらし寿司が教えてくれた、作ること食べることの楽しさ

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語ってくれたのは、料理研究家の黒田民子さんです。

-- 民子さんのアンフォゲ飯、忘れられない味をお聞かせください。
黒田 母のちらし寿司が忘れられない味です。親戚が集まると母はよくちらし寿司を作ってくれました。幼稚園生くらいの頃、幼かった私は、母から大きな団扇を渡されて「民ちゃんそれであおいでね」と言われて、飯台で酢飯を作る母の横で一生懸命あおぐんです。
最初は張り切っていても子どもだし、すぐによそ見したりしてしまうものだから、「こっち側もあおいで、風いれて」なんてたしなめられながらしていました。

-- 民子さんのお母様が作るちらし寿司の具は?
黒田 当時は今のように海老やいくらが乗るような贅沢なものではありませんでしたけど、錦糸玉子は必ずたっぷり乗っていました。あの頃、卵は高級品でしたけど、ちらし寿司にはたっぷり。というのも、うちの母はとても体が弱い人だったんです。病院に入院することもよくあって、お見舞いに卵をよくいただいていたので。
そのほかの具は、かんぴょう、しいたけ、紅ショウガ、サヤエンドウ、派手なものはないけれど茶、赤、緑、白、そして卵の黄色でそれだけで華やかでしたよ。

-- お母様がちらし寿司を作るのは親戚が集まるとき、ということでしたね? どんなタイミングだったのですか?
黒田 親戚は京都、和歌山、兵庫にいて、わが家が大阪でした。場所的にも事情としてもわが家が集まりやすかったのだと思います。体の弱い母を気にかけてくれてもいたのでしょう。兵庫の伯父は漁師だったので新鮮な魚介類を届けてくれることもあって、そうしたものを囲んで末っ子の母がいるわが家に親戚が集まって一緒に食事をしたりして仲が良かったんです。

-- 当時、民子さんはどんなお子さんでしたか?
黒田 
比較的おとなしい子だったかしら。従妹や近所のお姉さんと「ままごと」をして遊んでいる時は、あまりにも私の声が聞こえないから母が心配したなんてこともありました。小さかったからお姉さんたちの言うことを聞いて、お客さん役でただ座っているだけ……なんていうこともありました。でも人が集まる機会は嬉しかったし、内弁慶というか、家の中ではお転婆なこともしたような。
たとえば入院している母に会いたくなってしまって、夜中にこっそり家を抜け出して病院まで会いに行ったりしたこともあって、母をとても驚かせちゃったこともありました。
とにかくやさしい母でね、ああいう母親になりたかった。

-- お母様とはおいくつまでご一緒でした?
黒田 
母は53歳で亡くなったので、私が結婚して、子育てする姿を見せることは出来なかったんです。母が亡くなってからの人生では、何かある時、例えば親戚が集まってお祝いしてくれた時も、その少し後に「だれか大切な人を呼んであげられていないんじゃないか、忘れているんじゃないか」と思うことが度々ありました。「そうだ、母を呼ぶのを忘れてたわ、明日の朝、電話しなくちゃ!」 なんて思って翌朝気づいてせつなくなったりしたこともあったかな。

-- ちらし寿司の記憶もそういうシーンで思い出される食べ物なんですね。
黒田 
そうですね。合わせ酢を作って、ご飯を切るように混ぜているとやっぱり小さい頃を思い出します。それは美味しい記憶というより、充実した記憶という方がしっくり来るかな。自分であおぎながら作っている時は、「誰かこっちからあおいでくれないかしら」なんて思ったりもしますけど。必ず幼い頃のあの記憶がよみがえりますね。

-- 小さい時に食べた味でそのほかに思い出に残っているものはありますか?

黒田 恵方巻ってあるでしょ、今は全国どこでも売られていますけど、私は関西出身なので子どもの頃から風習として節分にはあれを食べる習慣がありました。でも今、よく見るものとはまったく違って、ちっともおいしくなかったの。
きゅうりかたくあんが1本入っただけの細巻で、決められた方角を向いて黙って食べなさいと言われて。縁起物だとはいえ、「まずいなー」と思って食べたのが印象に残っています。
食事というのは、皆で食卓を囲んでわいわいと食べるものなのに、なんで黙って食べなくちゃいけないの、なんて感じたからなのでしょうね。
おはぎも母と一緒に作りましたね。もち米をはんごろしにして小さく丸めたものに、きなこや小豆を煮てつくったあんこをまぶします。子どもだった私はお手伝いなんて大して出来なかったけど、母が丸めて並べていったご飯がおいしそうで、それに自分でお塩をちょっとかけてつまみ食いするのが美味しかったの。

-- 味というより、それを作っていた時の場面や情景の記憶が色濃く残っているのですね。
黒田 そうですね。母がていねいに作っていた様子とその時の楽しかった雰囲気が、とても素敵な忘れられない記憶として残っています。

-- 大切なご主人、黒田秀雄さんとの思い出の味もたくさんおありなのでは?
黒田 ええ、たくさん。秀雄さんは、食べることも作ることも好きで、キッチンのデザインを仕事にしていたので、道具にもとてもこだわりがありました。
一緒にキッチンに立つことも多かったので、こだわりの道具、こだわりのキッチンでていねいに料理を作り、楽しんだ経験が、その後のお仕事にも生きていると感じます。
いつも秀雄さんから「燻製作らない?」とか「かつおぶしを削って出汁をとろう」と誘われて……。初めは面倒だわなんて思ったけれど、一緒にするのは楽しいのよね。
結婚して初めて東京に二人で来た時に買ったものといえば、調理道具の鉄のフライパン。今でいうスキレットですね。50年経っていますけど、今でも山の家に置いてあって、現役で使っていますよ。
今思えば、いいものをちゃんと手入れすれば長持ちすることも、一緒に作る楽しみも、保存食のすばらしさも教えてもらえたなと思います。

-- 民子さんの保存食のご著書は私のバイブルです! ちらし寿司の団扇あおぎはお手伝い経験がある人も結構いるかもしれませんね。作った時の楽しい記憶もかけがえのないものだなと感じられました。素敵な思い出をありがとうございました。

民子さんの山の家のキッチンに収納されている調理道具の数々。中央が購入してから50年が経過してもなお現役のスキレット

 

黒田民子(Tamiko Kuroda)さん
家庭料理研究家。All About[ホームメイドクッキング]ガイド。1947年大阪府生まれ。子育てや主婦業の経験を活かし、旬の食材を使って簡単につくれるレシピを多数発表している。著書『やさしい保存食と自家製レシピ』(主婦の友社)、『いちばん簡単な 手作り燻製レシピ』(河出書房新社)、『家族の命をつなぐ 安心!保存食マニュアル』(ブックマン社)など著書多数。週刊朝日にて「黒田民子の家つまみでひとやすみ」を連載中。 

イラスト/Miho Nagai