私のアンフォゲ飯 PR

無人島に持って行きたいぬか漬け

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、書き文字ライター・映画ジャーナリストで元『暮しの手帖』副編集長の二井康雄さんです。

-- 二井さんのアンフォゲ飯、忘れられない味をお聞かせください。
二井 僕は大阪出身で、小さい頃は休みといえば祖父母が住む京都に遊びに行っていました。おじいちゃん、おばあちゃんから見たら初孫だったから、とても可愛がってくれてね、小学校高学年から中学生くらいまで、おばあちゃんのところで食べていたものが思い出の味です。
おばあちゃんが何十年も漬けていたぬか床があって、茄子のぬか漬けがすごく美味しかったんですよ。

-- 京都の茄子といえば……
二井 まん丸の加茂茄子が有名ですけど、ぬか漬けに使われていたのは小ぶりの茄子です。皮が薄くて、実との間に少し隙間があってとても美味しかった。ああいうコクのある茄子には今はなかなかお目にかかれないですよね。
※京都伝統野菜「もぎ茄子」?

-- その茄子のぬか漬けはいつ召し上がっていたのですか?
二井 夏休みにおばあちゃんの家に行くと、朝起きたら必ず熱々の麦茶をお湯のみに入れてくれます。そこに梅干し1個とシソを少し入れ、お醤油をちょっと垂らしたものをご飯を食べる前に飲むんです。スープがわりみたいなものかな。

-- 夏の暑い時期だといろいろ理にかなっていますね。

二井 塩分が摂れるし、食欲が出るし、熱々の麦茶だからお腹も冷やさないしね。
その後に出てくる朝ご飯はぜいたくなものじゃないですよ。
おばあちゃんの家は京都の北大路堀川というところにありましたけど、少し行ったところに湯葉屋さんがありました。そこで売っていた切り落としの湯葉を薄口のしょうゆでこうや豆腐と煮たものなんかをご飯のおかずに出してくれました。
それに茄子ときゅうりのぬか漬け。それで十分ごちそうでした。

-- ずばり、おばあちゃんのぬか漬けのおいしさを言葉で表現するとしたらどんな味ですか?
二井 
うーん……。無人島に一つ何か持っていっていいと言われたら持って行きたい味かな。最後の晩餐に何食べたい? って聞かれることがありますけど、僕はおばあちゃんの茄子のぬか漬け。あったかい御飯に茄子のぬか漬けを乗せてお茶漬けで食べることかできたら最高。

-- 京都や大阪は美味しい食べものが数多くあるというイメージですが、二井さんの好物は何でしたか。
二井 
僕はうどんが好きでね、当時暮らしていた大阪・天下茶屋東の長屋がある狭いエリアには三軒もうどん屋があって、三軒とも美味しかった。かけうどんが一杯25円くらいの頃です。ネギとうすーく切ったかまぼこと、とろろ昆布。
夕飯前に「腹減った腹減った」と言うと、「25円やるからうどん食べに行き」って言われたものです。店の人とは皆、顔見知りでしたよ。

-- 二井さんが編集者として長く手掛けられた『暮しの手帖』でも料理は取り上げられていましたよね。
二井 
ありとあらゆる料理を紹介していました。料亭の味を家庭でも食べられるようにと、レシピを再現。実際に編集部内で調理したものを花森大先生(『暮しの手帖』を創刊した初代編集長の花森安治氏)が味見をしました。ちょっと甘すぎるとか、味が薄いとジャッジしてもらいながら、調味料の分量を微調整して作り直す。それの繰り返しで『暮しの手帖』の料理ページは作られていました。入社したばかりの新人さんも試食に参加することがあり、感想を聞かれることもありましたね。

-- 二井さんは現在、書き文字ライターとして映画や舞台作品の題字など、さまざまな作品を手掛けられていますが、はじまりはどこからだったのですか?
二井 僕は『暮しの手帖』で作家の沢木耕太郎さんの連載を担当していました。その連載から三十編を選んで編集したエッセイ『世界は「使われなかった人生」であふれてる』(暮しの手帖社/2001)を発行するにあたり、沢木さんのリクエストで、タイトル、社名、著者名(沢木耕太郎)を書きました。これが僕の書き文字デビューです。
それから後、アートディレクターの木村裕治さんのところに『暮しの手帖』のラフ(デザイン指示書)を書いて持って行った際に、「この文字はいいね、面白い」と言っていただいて、記事のタイトルや見出しに使っていただきました。
別のデザイナーさんとの仕事では、新聞広告の一部の書き文字も手掛けました。
僕は花森さんのように絵は描けません。書けるのは文字だけ。でも、自分で言うのもあれだけど、味のある字を書くと思いますよ(笑)。

株式会社暮しの手帖社には定年まで務めました。長年『暮しの手帖』にエッセイを寄稿してくださった女優の沢村貞子さんには、ご夫婦で良くしていただいて、正月に呼ばれて手作りのおせち料理をご馳走になったこともありました。黒豆なんかがね、飾らない美味しさでした。
料亭「吉兆」の味を家庭料理として味わえるよう料理監修いただいていたご縁で、社員総出で「吉兆」の絶品懐石料理をいただくなんていう貴重な機会もありました。どれもいい思い出です。
そうしていろいろ味わって来ましたけど、忘れられない味といって真っ先に思い出したのは、おばあちゃんのぬか漬けでしたね。

-- ちなみに、二井さんご自身でぬか漬けを作られたりは?
二井 してますよ。ぬか床は何度か新しくもしていますけど、ぬか漬け歴は15年以上になるかな。手入れが大変なんて思われますけど、漬けた野菜を出す時、入れる時には都度かき回すわけだから、それほど面倒なことはありません。
おばあちゃんのぬか漬けとどちらが美味しいか? それは比べものにならないけど、僕が漬けたのも結構いけます。あの頃食べた茄子は手に入りにくいので、僕のぬか漬けは胡瓜や大根が多いかな。

-- 暑い京都の夏の朝、麦茶とぬか漬けと白飯、古き良き日本映画のワンシーンを想像してしまいました。美味しい思い出の味と貴重なエピソードをありがとうございました。

二井さんの文字が使われているご著書や公演パンフレット
二井康雄(Yasuo Futai)さん
映画ジャーナリスト。書き文字ライター。『暮しの手帖 』の元副編集長。1969年、株式会社暮しの手帖社入社から2009年の定年退職まで40年間編集部にて勤務。藤城清治のカラーの影絵、沢木耕太郎の映画時評などを担当。現在は映画ジャーナリストとしてWebマガジン『学び!とシネマ』にて映画レビューを執筆。書き文字ライターとして映画や雑誌、演劇チラシなどのタイトル、見出しなどの書き文字を数多く手がけている。著書に『ぼくの花森安治』(CCCメディアハウス/2016)がある。大阪生まれ。

イラスト/Miho Nagai