私のアンフォゲ飯 PR

衝撃の和えるパスタ。衝撃の混ぜるパスタ。

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、著名人も数多く来店する銀座の小料理屋「手料理 おおよそ」の女将、大島櫻子さんです。

-- 櫻子さんのアンフォゲ飯、忘れられない味の始まりをお聞かせください。
大島 私の母親はものすごく料理が下手だったんです。いや、下手というより忙しい人だったのでする暇がなかったんでしょうね。実家は北九州で印刷工場をしていて、父と母、おっちゃん、おばちゃんらがそこで働いていました。映画『男はつらいよ』のタコ社長の家みたいな環境で育ったんです。いつも誰かが家にいて、隠し事なんかできないような、とてもオープンな環境でした。
母の手料理、おふくろの味を思い出そうにも印象がなくて。家の前が魚屋だったので、毎日のように美味しいお刺身を食べていた記憶があります。

-- それはそれでとてもうらやましい。舌が肥えますね。
大島 中学は地元のお嬢さん学校に入学しました。お金持ちのお嬢さんも多く通う私立校で、忘れられない味を考えてみた時、その中学校時代の友だちの家で出された料理のことを思い出しました。
友だちの家ではギョッとすることばかりでした。
例えば栗の入ったぜんざいのお椀を友だちのお母さんが運んできてくれるなんて……。お母さんが、娘とその友だちにおやつを出してくれるのが驚きでした。おやつといえば、私は近所の駄菓子屋さんでおせんべいを買ってきて、それと一緒に自分でサイダーを開けて飲むというのが定番でしたから。朝ご飯だって自分でパンを焼いて食べるというのが日常でした。

-- 環境のギャップを感じる、みたいなことでしょうか。ギョッとしたこととは?
大島 ある時、友だちの家で夕飯をごちそうになることになったのですが、食卓に出てきたのはパスタ。いや、あの頃はスパゲッティと呼んでいたかもしれません。
オリーブ油、サラダ油だったかも? をからめて麺がくっつかないようにした茹でたてのパスタがホーローのザルに盛り付けられていました。それを各自のお皿に取って何種類かのソースをお好みでかけて和えながら食べるという、とてもこじゃれた感じのものが出されたんです。
「キョエーッ、こんな食べ方があるの?」と驚きました。
正直に言うと味はあまり覚えていないんですが、とにかく見たことのないもの、試したことのない食べ方だったので衝撃でした。
母親に友だちの家でそういう料理が出されたことを伝えたら、後日同じようにスパゲッティを茹でてくれました。
でも、そこに一緒に出されたのが、ケチャップ、マヨネーズ、ウスターソース、しょうゆ。「さあ、好きなものを混ぜて食べなさい」って。
あの時の絶望感たるや……。あれだけは忘れられないですね。

-- そもそもお友だちの家で出てきたパスタソースの種類が気になります。
大島 ミートソースとかだったと思いますけど、ちゃんと具がある、いわゆるパスタソースだったんですよね。今、考えるとあれはあれでなんだったんだろう? という気もしますけど(笑)。
母のお弁当も散々でした。白飯とウィンナーだけというお弁当の時があって、ある日とうとう母親に「もうお弁当は作らなくていいからお昼代としてお金を頂戴」と言って、毎日200円もらって購買部で買うようになったんです。
でも毎日だとお小遣いも足りなくなってくるので、もらった200円で食材を買って、自分で夜中にお弁当を作るようになったんです。そういう中学生でした。

-- 料理家としての始まりですね。
大島 
いろいろ納得いかないことはありましたけど(笑)。でもわが家は本だけは好きなだけ買っていいというルールでした。商店街にある本屋さんで好きなのを持って帰ってきて、お代は月ごとに後でまとめて請求書が来る形です。漫画でもなんでも読み放題でした。
そこで「きょうの料理」を注文し、毎月楽しみに写真と料理のレシピを家で読んでいました。
母親がいない時を見計らって、父にお金をもらい、食材を買って作ってみたりするうちに料理が好きになっていきました。

-- イメージトレーニングをしっかりした上で、レシピを見ながらお料理されたんですね。具体的に作ったお料理を覚えていらっしゃいますか?
大島 
牛肉をカレー風味のソースで煮るというお料理を一度作ったら、本当に美味しくできたんですよね。レシピ通りに作ればおいしく出来るんだということを知りました。母はお肉が好きじゃなかったので、肉料理は母が旅行に行ってる間に父とこっそり外食して食べるものでしたから、家で肉料理を美味しく作れたのはとても印象に残っています。
豚バラ肉ってなに? モモ肉とは? みたいに食材に興味を抱くようにもなったので、商店街に隣接している市場のお肉屋さんに行ってお店の人たちに教えてもらったりしていました。

-- 「きょうの料理」からスタートして、やがて銀座でお店を持たれるって夢がありますよね。その他の美味しいものとの出会いもお聞きしたいです。
大島 
結局、美味しかった記憶があるのは、あの頃お友達の家で初めて食べた料理が多いかもしれません。鶏のクリーム煮はその筆頭ですね。そのクリーム煮には当時珍しかったマッシュルームが入っていて、わが家とは違うなぁと思ったりね。

中高一貫校から付属の短大に進学、消去法で食物栄養科を選びました。そこで料理の基礎は一通り覚えることが出来ました。作ってくれないなら自分で作る、そんな動機で始めた料理でしたが、美味しい美味しいと食べてくれる人を見るのが嬉しいです。
7年前までは、料理教室を主宰したり、ケータリングもしていました。その頃は、母がよく福岡の北九州から上京してきました。
「何が食べたい?」と聞くと、母は毎回グラタンをリクエストするんです。初めて母の前でグラタンを作って出した時に、「グラタンって冷凍じゃないの?」ととても驚いていました。「簡単だよ、こうやってホワイトソースを作って、、、」とレシピを伝えたら
「そんな風に育てた覚えはないのに」と言いましたからね。笑っちゃいます。
当時、料理教室の生徒さんからは「お母さまがお料理上手だったんでしょうね」とよく言われましたけど、「違うのにぃ~」と思ってましたし、口にもしていました。
「またまた〜」なんて言って信じてもらえませんでしたけど、あのパスタの話をすれば良かったかも。

-- 私は櫻子さんが作る北九州の郷土料理、いわしの糠炊きが大好きなのですが、それもおふくろの味ではないのですよね。例のパスタではなく、お母様も大好きだった櫻子さんのグラタンも食べてみたくなりました。楽しいお話をありがとうございました。

大島櫻子(Sakurako Oshima)さん
福岡県北九州市生まれ 栄養士、調理師、食生活アドバイザー、利き酒師。 料理教室「イル・フェ・ボー」を主宰し、ケータリング、雑誌のレシピ提供等の活動の後、2016年2月より「手料理おおよ」を開店。
手料理おおよそ
東京都中央区銀座7丁目12-4-B1

イラスト/Miho Nagai