誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、17歳からアーティスト活動をスタートし、その透き通る歌声と圧倒的な歌唱力でライブやミュージカルへの出演経験を重ねている歌手、秋野紗良さん。音楽活動のルーツとともに、忘れられない食べ物について、お話をうかがいました。
-- 突然ですが、紗良さんは好き嫌いはあまりなく、なんでも召し上がる方ですか?
秋野 なんでも食べれる方です。あ、でもインゲンは嫌いです。保育園の給食でインゲンがたくさん出た時に平気なふりして食べたら具合悪くなってしまって、それからもう無理して食べないことに決めました。
-- 今回は、紗良さんのオリジナル曲の中に「みそおにぎり」というナンバーがあることを知り、お話をうかがうことにしました。「おにぎり」といえば……、「みそおにぎり」ですか?
秋野 「みそおにぎり」がそもそも好きだったというわけではないんです。私が記憶しているのは、父が作った「みそおにぎり」です。味噌はおにぎりの周りに塗られていたのではなく、ご飯に混ぜ込んであったと記憶しています。握っているだけで、焼いてはいないです。よく「みそおにぎり」と言うと、焼きおにぎりだと思われることがあるんですけど、べちゃっとした、いや、違う、しっとりしたおにぎりです(笑)。
-- 形は、三角それとも俵型ですか?
秋野 三角だったと思います。父はマメなA型だったからきれいな三角だったはず。私の父はとても料理が上手でした。
父と母は東京で出会いました。それぞれお店を持っていて、お客さんの紹介で出会ったそうです。母の実家である秋田には、お盆やお正月に行っていたそうです。もともと誰とでもすぐに打ち解けるタイプの父は、盆のお祭りの手伝いなどを通じて、地元の方から「あきちゃん、あきちゃん」と親し気に呼ばれるようになりました。秋田の方たちのあたたかさに触れたことをきっかけに、私が5歳の時に秋田県の大館市に引越しを決めました。母は内心、せっかく東京に出て来たのに……と思っていたそうですが、結果的に二人で大館にお店をオープンしました。
上野毛のピアノバーから大館へ、父の決断が今の私のはじまりです。
-- 紗良さんにとって秋田はどういうところですか?
秋野 親はお店をやっていて、知り合いも大勢いる社交的な人ですが、私は一人っ子で、周りは皆、大人。さみしかったわけではないけれど、いつも一人で絵を描いたり、お話を作ったり、ぬいぐるみと会話したりしていました。今、思うと秋田の風や山や雲の動きもすべて友だち、そんな感覚を持っていたなと思います。大自然が兄弟みたいな感覚でしたね。
今も秋田に帰れば人はあたたかいし、道中の山々もおかえりって言ってくれる気がしています。
-- では改めて「みそおにぎり」の話を聞かせてください。お父様が握ってくれたとなれば結構サイズは大きめだったのでしょうか。味は覚えていますか?
秋野 大きかったし、いつもいっぱい作ってくれるんですよね。味は白みそで、甘かった気がします。私のためにそういう味付けにしてくれてたのかな?
父は私の朝ごはんの担当でした。お弁当の担当はママ。二人ともお店で、毎日深夜1時~2時まで働いて帰ってきて、いつも寝不足だったと思いますが、私のご飯のために6時~7時には必ず起きて作ってくれていました。
その日は、考査(テスト)の初日でした。朝食には、父の作ったみそおにぎりとお味噌汁。
「みそパワーだ!」と言われて食べたけど、量が多くてちょっと残して出かけちゃったんです。頭の中は、世界史や数学のことでいっぱいだったはず。私、実は結構、真面目な優等生タイプだったんです!!
-- あまり満腹になっちゃうとよくないと自然にセーブされてたのかな?
秋野 その朝、母は珍しく私が朝ごはんを食べる時間になっても起きてこられなくて、逆に父は私より早く起きて準備してくれていました。考査の日は学校が早く終わるので、
「お昼は皆で食べようね。起きて待ってるね」という父に、
「どうせ寝てるんでしょ」といつものように言うと、
「絶対起きてるから!」と言って私を送り出してくれました。
母の話によれば、その頃は春の確定申告のタイミングだったので、父は私が学校に出かけた後、自室でパソコン作業をしていたそうです。
買い物に出かける母に向かって、
「紗良にお昼ご飯何食べさせようかな」と言ったのが、母が聞いた父の最後の言葉だったそうです。
とてもいいお天気の日でした。クラスメートとの帰り道、救急車が目の前をゆっくり通ったのを、救急車なのにゆっくりしてるなーと思ったことも覚えています。
そこから先のことは記憶が曖昧ですね。
でも「あぁ、みそおにぎり食べきればよかったな」とかすかに思ったような気がします。
お家には残っていなかったから、たぶんパパが食べたんだろうな。
-- お父様とのお別れの時が、紗良さんにとっての始まりでもあったと聞きました。
秋野 ライブの時にもよくお話しているんですが、父の葬儀の時にママから「歌ってみない?」と言われて、カッチーニの「アヴェマリア」を歌ったんです。
葬儀には驚くほどたくさんの人が来てくださいました。本当にたくさんの人が父とのお別れに来てくれて、歌う前に一言何か言わなきゃいけなくて、
「どこにいるの? 私はここだよ」と言って大泣きしちゃったんですよね。
カッチーニの「アヴェマリア」は、音楽の授業で習った曲でした。日曜の夜はお店がお休みだから、家族3人で一緒に夕食を食べて、食事のあとは両親はお酒を飲んで、私は歌ったり踊ったりするのが恒例行事。ある日曜の夜、私が歌った「アヴェマリア」を聴いて、父が感動して大泣きしてくれたんです。そんな忘れられない思い出の歌だったから、母が私に悲しいけれど「歌ってみない?」と言ったんです。
-- 歌う前に大泣きしてしまったと言われていましたが……。
秋野 ピアノを弾きながら歌ったのですが、不思議なほど指がとても柔らかく動いたし、歌声が信じられないほど伸びました。涙も止まって、私、歌えてる! と思ったんです。魔法がかかったような気がして、絶対にこれで生きていかなくちゃ、そう思いました。
-- アーティスト秋野紗良の誕生ですね。
秋野 歌う魔法はもらったけれど、人前で歌う覚悟はなかなかできない、自分が追い付かない……など、いろいろあって旅に出たりもしました。
もちろん今でも、迷ったり、無理~と思うこともあるけれど、たくさんの方との出会いや経験、例えば作品で共演させていただいたりする機会を通じて、「私の歌も世界に聴いてもらわなくちゃ!」という思いになっています。
-- そういえば、その後「みそおにぎり」は食べましたか?
秋野 一度作ってみたことはあるけれど、ただの味噌まぜごはん…という感じで全然美味しくなかったし、東北限定かな? コンビニに味噌おにぎりが売っていて食べてみたこともありますけど、違ったなぁー。
-- 紗良さんが作って演奏しながら歌われている「みそおにぎり」という曲。お話をうかがってから聴くとますます沁みます。
これからどのようなアーティストとして活動されていくか、紗良さんの今の思いをお聞かせください。
秋野 たくさんの人に歌を届けられるようになることは、これまで出会ってくれた方、応援してくださっている方々への恩返しになると思っています。人はもちろん、日常の中の自然も私たちを助けてくれていますよね。空気のいいところに身を置けば、気持ちがラクになるし、温泉に入れば疲れが取れるし……そういうことと同じように、いい音楽は人をいろいろなところへ連れて行ってくれると信じているんです。世界中で、大自然の中で、たくさんの人たちと音楽を楽しみ、歌を届けたい。大きな夢だけど想像したら楽しくて仕方がないんです!
-- 素敵です。紗良さんがたくさんのつながりを大切にしていることが伝わってきました。ますますのご活躍を楽しみにしています!
イラスト/Miho Nagai
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