誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、北品川のハレルヤ工房オーナーで、一心寺の住職の玉井香織さん。日本から遠く離れたアメリカの地で食べた味と、今につながる食についてお話しをうかがいました。
-- 香織さんの忘れられない味について教えてください。
玉井 食の記憶について考えると、何十年経ってもあの時皆で一緒に食べたあの味を一斉に思い出す……そういう記憶もあれば、その人の中でだけの忘れられない味っていうのがあると思うんです。今日私がお話するのは、後者です。私は二十数年前、当時の夫の仕事の関係でアメリカ・サンフランシスコの学園都市、パロアルトという町で暮らしていました。
-- アメリカでの暮らしはどのような様子だったのでしょう。
玉井 初めは英語も出来ないし、車の運転も出来ませんでした。それでも少しずつ何か出来るようになりたいと、向こうでの暮らしでは必須だった運転をするようになり、元々興味があったこともあり、アダルトスクールのセラミック・クラス(陶芸教室)に通い始めました。願書から何からすべて自分で用意して通い始めたそのスクールでは、仲間を得ることが出来ました。
でもその頃、夫婦関係はかなりギスギスした状態で、実は食欲も湧かないような日々を送っていたんです。ある日の夜、衝動的に車を走らせて着いたのは陶芸教室の駐車場でした。なんのあてがあったわけでもなく、先生に「Kaori、今日はセラミックしないの?」と声をかけられたけど、「うーん……」みたいな返答をしたのだと思います。
そんな私の様子を察して、声をかけてくれたクラスメートがいました。アメリカ人と結婚してサンフランシスコで暮らしていた日本人のYOKOさん。
「Kaoriさん、どうしたの?」
と訊ねてくれたけれど、恐らく私はしどろもどろだったのでしょう。すると、
「うちに来る?」
と誘ってくださったんです。YOKOさんのお宅は結構、山の方だったので私は誘われるがままに車で後をついていきました。知らない暗い山道なのに、ビュンビュン飛ばして車を走らせていた私の行動からもYOKOさんはなにか察してくださったのだと思います。
でも、彼女は特に私に何を聞くでもないのです。
「今日は主人は海外出張でいないから、お部屋もお風呂も自由に使ってね!」
そんな風に当たり前のように接してくれました。
-- なにか切羽詰まったものを感じてドキドキしてしまいます。
玉井 息子も娘もまだ幼くて、今、考えたらどうしてそんな行動に出てしまったのか、思い出そうにも記憶にモヤがかかっていてよくは思い出せないのですが、とにかくかなりいっぱいいっぱいだったのだと思います。しばらくしてYOKOさんが持ってきてくれたのが、
おむすびと漬物とお味噌汁でした。
「食べれないと思うけど……、良かったら食べて」そんな風に声をかけてくれました。
カリフォルニアは食材が充実している町ですが、突然のことなのに当たり前のように日本食を出してくれるなんて……。
それまでの時間、コーヒーとお水くらいしか口にしていなかったので、食べれるだろうかと思いましたけど、せっかく作ってくれたからと一口食べたら、涙がボロボロとこぼれ落ちてきて……。今、思い出すだけでも泣けてきてしまう。
-- どんなおむすびだったんですか?
玉井 シンプルな塩むすびに海苔が巻いてありました。具は入っていたのかなぁ? 細かい記憶がないんですよね。でも人のエネルギーというか、YOKOさんのぬくもりが入っていたのは間違いないです。食べれるかな? と思うほど憔悴しきっていたのに、その時のおむすびは完食したと思います。YOKOさん以外にも息子の友だちのママも、皆、フレンドリーにしてくれまたした。焦点が極端に狭くなってしまっていたあの時の私は、いろいろ溜め込んでいたから吐き出したい気持ちはどこかにあったと思うけれど、かといって全部を話したいわけではなかった。だから、フランクに接して、気にかけてはくれるけれど無理に話を聞き出そうとしたりしないでくれたあの頃の周囲の人に私は本当に救われたと思っていて、この御恩返しをしなくてはと今もずっと思っているんです。
-- YOKOさんとはその後は?
玉井 一度、日本で再会しました。SNSではつながっているから、元気でやっていることは知ってくれているだろうし、相変わらず程よい距離感を保ってくださっています。おむすびのありがたさは、節目節目で私に何かを気づかせてくれます。
-- 先ほど御恩返しという言葉が出ましたが、香織さんの今のお仕事にもつながっていらっしゃいますよね。
玉井 そうなんです。私の父は北品川にある一心寺で住職として務めており、いずれは……ということで今から8年前に僧侶としての名前をいただいてはいました。ところが、コロナ禍に父が病に倒れたのをきっかけに、早めに修業をした方がいいということになり、僧侶になるための修業をしました。ありがたいことに父はその後、回復して師僧として私にさまざまなことを伝えてくださっている途上です。父は幼い頃から修業をしてきた僧侶ですが、私はまだほんの数年の経験ですから、私が出来ることを出来る範囲で務めていくと決めています。この決意に対して、師僧からは「あなたなりの傾聴をこのまま務めていけば、あなたなりの信者さんがいらっしゃるからそのまま進みなさい」と言われています。
-- 今は具体的にどのような活動をされているのでしょうか?
玉井 週に2回、座禅をしています。毎回、座禅後に参加してくださった方のお話を聴くのがとても楽しいというか、こちらが気づかせていただくことが多いです。参加いただく方はその時々なので、皆さんのお話からその日感じたり、考えるべきことをいただくような時間になります。皆さんが思う僧侶の姿とは違うかもしれませんね。
-- 座禅を終えた方々のいいお顔をSNSで拝見しています。
玉井 座禅の時には一汁一菜をお出ししています。初めはお茶だけでしたが、感謝の気持ちとお供物などいただいたものを循環するという意味でもお膳を出させていただいているんです。当初はお粥とお味噌汁と香の物でした。でも私の根底におむすびがあったからでしょうね、今は丸いお月さまの形をしているご飯とお味噌汁と香の物をお出ししています。一心寺は、真言宗智山派、弘法大師 空海が宗祖のお寺です。ご本尊は不動明王様で、座禅のことを阿字観(あじかん)と呼びます。
仏様は自分たちの外側にも内側にもいらっしゃるという教えで、その仏心に気づくように座禅は呼吸法を意識します。それを表すために月観(がちりん)という月をイメージしながら行うので、その月と丸い月の形のご飯を重ね合わせています。
-- 香織さんの丸いおむすびは、そんな風に今につながっているんですね。ちなみにYOKOさんのおむすびの形は覚えていらっしゃいますか?
玉井 三角だったかなぁ。そんな気もするけど、俵形だったかもしれないし、覚えていないなぁ。YOKOさんに聞いてみようかな。これをきっかけに連絡をちゃんと取りなさいということなのかもしれませんね。嬉しいな。
-- ぜひYOKOさんにご連絡してくださいね。「阿字観」の貴重なお話も聞かせていただきありがとうございました。
イラスト/Miho Nagai
真言宗智山派 一心寺
品川区北品川にある延命と商売繁盛のお寺
毎月28日は御縁日でほうろく灸を受け付けている。また、「阿字観」座禅体験は、木・日に実施している
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