日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
先日、とあるテレビ番組で取材者(ライター)あるあるの話題で盛り上がっていた。
こういうインタビュアーっているよね! というヤツで、バラエティ番組でもよく見かける。
ユニークな記者、名物ライター、カメラマンやヘアメイクさんなども話題にあがることがある。制作にガッツリ関わるスタッフとは異なり、取材で会うライターとは一期一会のことも多いだろうから「おや?」と思う相手であってもやり過ごすことは多いのかもしれない。
レギュラー的に登場する媒体なら気心知れた関係もあるようで、そういう信頼関係が築けているエピソードを聞くと素敵だなと思う。
さて、その番組で話題になっていたのが、新作(音楽や映画など)についてのインタビューのときに、必ずと言っていいほど「作品観ました!」「新譜聴きました!」と言われることにおける違和感、いや不快感について。
あれは時間の無駄ではないか、
ありがとう待ちだ、
取材するんだから当たり前だろう、
そんなニュアンスで言われていて、周りもそうそう! あるある! と盛り上がっていた。バラエティー番組で盛り上げるためのライトなエピソードだとはわかりながらも、その入りをしたことは何度もあるこちら側の身としては、なんとなく微妙な気持ちになった。
「ありがとう待ち」かと言われれば、そんなことはなくて、「この作品に興味がありますよ、だからぜひお話聞かせてください」そういう気持ちを込めている。
もちろん、「ありがとうございます」と返されたら、そういう気持ちでこの作品の傍にいる方なんだなとも感じるので、反応は待っているとも言えるか。
簡略化することは一見、効率がいいけれど、本当にそうだろうか。
簡略化されすぎて、実はその裏に何があるかを予想したり、慮る力が必要になれば
むしろその分効率は悪いということにはならないだろうか。
暗黙の了解ほど人によって価値が異なることは多いし。
でもこうやって話題にあがるということは、
目に余るとか、主張やクセが強すぎるライターが多いということなのだろうか。
気になる、気にする、気をつけよう。
実はインタビューや対談の締めにもまあまあ定番があったりする。
エンタメ以外の取材でももちろん、はじまりと終わりの流れがあったりする。
相手も自分も飽きないように、でも奇をてらい過ぎないように
そんなこと考えるのも私的ライターあるあるだったりするのだけど、
え、それってウザイ!?