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コールアンドレスポンスへの渇き

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。
栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

数ヶ月前に1泊2日で北海道・札幌を訪れた。
コロナ禍で、ほとんど誰にも言わずに出かけ、
帰ってきてからも口にすることは少なかった。
世の中はなかなかどうして緊迫した状態が続いていたから。

エンタメを愛するものとして、この状況はとてもツライ。
いや、そこは声を大にして言って行こうよ!という意見もあるが、
そう簡単な話でもない。

札幌にはライブのために訪れた。
延期に延期を重ね、ようやく、なんとか実施されたライブだった。
しかも麗しの最前列だった。
普通なら声を大にして自慢したいし、
声を大にしてコールアンドレスポンスを楽しみたい黄金案件だ。

マスク、手指消毒、緊急連絡先の登録など、出来ることを徹底し、
ライブ前に食事をした店でも、道外から来た者であることは決して悟られぬよう、
忍びの者のように過ごした。

大きなホールは、これまで見たことがないほど空席が目立った。
声を出せない、一緒に歌えないライブが、これほどツライとは。
でも、当たり前だけど目の前ではそんな状況に1ミリも影響されるわけはないと
最高のパフォーマンスを見せてくれるプロたちがそこにいた。

コールアンドレスポンスは当然ない。
拍手や手拍子を懸命にした。
でも、広い会場でその拍手や手拍子の圧や一体感をなかなか感じることが出来ない。
「なんで私の拍手、もっと大きな音が出ないの」
「なんで皆もっと大きな手拍子してくれないの」
一体感云々は、最前列の黄金席だったせいもあるかもしれないから、
それもまた贅沢な話なのだけれど。

そしてライブは終わった。最高だった。
ホテルに戻り、事前に買い置きしておいた総菜とビールで乾杯した。
渇いた喉はビールで癒えたけれど、コールアンドレスポンスへの渇きは癒えることがなかった。

その日の夜、というか、夜中。
ものすごい体の痛みに襲われた。恐怖にも似た、何かに取り憑かれたみたいな痛みだった。

それは、筋肉痛だった。
最前列に座らせてもらった者として、声が出せないからとせめて手拍子や手振りは大きくしようと、相当頑張ったのだ。楽しい時間がそうさせたわけだ。
けれど、コロナ禍であまりにも鈍ったカラダは正直すぎた。

コールアンドレスポンスが出来ない状況は、未だ続いている。
あの時の渇きと、あの時の取り憑かれたみたいな肩の痛みはセットになって記憶されている。

ホールで、劇場で、そして配信のモニターの前で、
渇きを打ち消すように、懸命に拍手をしよう。思いっきり手拍子をしよう。
まだまだ、これからも。