私のアンフォゲ飯 PR

7回焼いたあの日のスポンジケーキ

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誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。

今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、舞台芸術の魅力を伝える文筆家として、宝塚関連の著書も数多く出版されている中本千晶さんです。

-- 中本さんの忘れられない味を教えてください。
中本 私の母は料理上手で、私も料理は嫌いじゃありません。離れて暮らす母とは今も一緒に台所に立つことがありますし、レシピの情報交換など料理の話もします。
そんな料理上手な母ですが、唯一、お菓子(スイーツ)だけは作ってくれなかったんです。家には立派なオーブンもあったのに、それが残念でした。
子どもの頃って、母親にお菓子を手作りしてもらいたいと思うじゃないですか。でもその願いを叶えてくれることはなかったんです。

私は山口県で育ちました。通っていた小学校は家から歩いて30分くらいかかる場所。毎日の通学はわが家と学校との間にお宅があった同級生のYちゃんが一緒でした。
Yちゃんのお母さんはわが家とは違い、お菓子をよく作ってくれる人。よく彼女のお家にお邪魔しては手作りクッキーをごちそうになったり、クッキーの型抜きを一緒にさせてもらったりしたんです。Yちゃんのお宅に寄るのが楽しみでした。

-- 手作りおやつが出てくるお宅は私も子どもの頃、憧れでした。
中本 Yちゃんのお宅でのお菓子づくり体験を経て、自分でも作ってみたくなっていた私は、お菓子づくりのレシピ本というものがあることを知ります。きっかけはYちゃんがレシピ本のとあるページをトレースしたものをくれたことでした。
図書館でお菓子の本を借りて、妄想しながら熟読します。でも図書館の本ですから2週間ほどで返却しなくちゃいけないですよね。
当時はコピーという技を知らないですから、「どうしよう、名残惜しい」と感じた私はその本を転写したんです。いわゆるレシピ本で、材料や作り方をきっちり書き写し、写真部分は絵を描いています。
そのノートは今でも手元にあるんです。

-- すごく丁寧に転写されていますね。そしてノートが手元にあって、すぐに取り出せるよう管理されていることが素晴らしいです!
中本 こうして転写していくと、いよいよ自分で作ってみたくなります。「オーブンを使って作っていいですか」と母親におうかがいを立てると、勝手にどうぞという感じで許可が出ました。
お菓子、特に焼き菓子は分量が大事。絶対はかりがいりますよね。母にはかりを買って欲しいと頼むと「そんなものはいらない」と却下されてしまったんです。
どうしようと困った私は、カップ1杯の小麦粉は何グラムで、大さじ1は何ccというように覚えて計算することにしました。
今思えば、初めて作るお菓子は比較的簡単なクッキーか何かにしておけばよかったと思いますが、私が初めて挑戦したのは、まさかのスポンジケーキだったんです。王道だということだけで決め、特に難しさに気づいていなかったんです。
分量のほかにもう一つ関門がありました。それは泡立てです。レシピには「全卵を白くなるまで泡立てる」とありました。卵は黄色いのに白くなるってどういうこと? と思いながら手で泡立てて、白くなってないけどまあいいやで焼いてみたら……。

-- どのような仕上がりだったのでしょう?
中本 2㎝程度の厚みの小麦粉のかたまりのようなものが出来上がりました。子どもの処女作ですから、たいていの親なら「でもいいよ、よくやったよ、美味しいね」と言って食べてくれそうなものじゃないですか。でも母は「全然美味しくない、食べられたもんじゃない」みたいな感じで却下でした。
その後、7回くらいスポンジケーキ作りを繰り返しました。わからないなりに試行錯誤を繰り返す中で、そういえばYちゃんの家には電動泡立て器なる文明の利器があったなと思い、それがないと小学生の非力では泡立たないことに気づきました。
何故か電動泡立て器はすんなり買ってもらうことが出来て、やっと全卵を白くなるまで泡立てられて、徐々にスポンジケーキも膨らんで焼けるようになりました。
そうなるとやっと母も食べてくれるようになったんです。生クリームでデコレーションなんてする余裕はまだなかったですね。

-- 7回もあきらめずにチャレンジするって素晴らしいですね。お母様の感想、覚えていらっしゃいますか?
中本 
食べてくれましたけど、特別なリアクションはなかったですね。そもそも褒めて育てるタイプの親ではなく、やるべきことをやらなかったら怒るタイプでした。私自身も褒めてもらうことをモチベーションにするタイプではなかったので、興味のあることしかやらない子どもだったんです。お菓子づくりも褒めてもらうため、誰かに喜んでもらうためというのではなく、自分がいろいろ作ってみたかった、これに尽きます。それからはシュークリームなど、一通りのお菓子はチャレンジしましたし、一人暮らしを始めた後も、今もお菓子づくりは気が向いたときにしています。

-- ちなみにはかりは……?
中本 
あ、今もないです(笑)。電動泡立て器は一人暮らしになっても自分で買いましたよ。
最近ハマッてよく作ったのはバスクチーズケーキですね。材料を混ぜて焼くだけなので実は簡単です。バスクチーズケーキは実家の母も美味しいと言って喜んで食べてくれました。

-- 中本さんはスイーツ全般お好きなのですか?食べ歩きなどもされます?
中本 
実は和菓子のほうが好きで、どら焼き部長と呼ばれています。あの劇場に行ったらあそこのどら焼き、あのホールに行く時は売切れちゃうので先にどら焼きを買って、それを持って会場に行くとか、私の中のどら焼きマップがありますね。

-- 宝塚関連でもスイーツの話題がよく出てきますよね。
中本 
東京宝塚劇場の公演スイーツのことですね。劇場内の2階喫茶・ラウンジ「Café de Repos」で公演名をダジャレにした限定メニューが提供されるんです。コロナ禍で久しくカフェはお休みしていたのが、5月の宙組公演からカフェが再開し、限定メニューも久しぶりに復活したんです。
6月11日まで上演されていた宙組公演『カジノロワイヤル~我が名はボンド~』は、スパイにかけて「酢っパイん!」。パイナップル酢ゼリーの上にいろいろ乗ったデザートでした。

-- 中本さんが次に作ってみたいと思っているスイーツはありますか?
中本 
どら焼きかなぁ? いろいろ食べてきたので、レシピを調べて自分のどら焼きを作ってみたいですね。

-- どら焼き部長のどら焼き、作られた際には、ぜひご一報ください!(笑)。レシピを転写するところから始まった中本さんのスイーツづくりの歴史!? とても楽しかったです。ありがとうございました。

中本千晶(Chiaki Nakamoto)さん
文筆家。宝塚歌劇をはじめ、さまざまな舞台芸術の魅力を独自の視点で分析。Yahoo!ニュース個人-中本千晶のカンゲキのある人生や日経MJなどでも公演評などを執筆中。
山口県周南市出身。東京大学法学部卒業。株式会社リクルートにて10年余り勤務した後に独立。2023年2月には、早稲田大学大学院文学研究科にて博士(演劇学)学位を取得。宝塚関連の書籍多数。主な著書に『タカラヅカの解剖図鑑  詳説世界史』(エクスナレッジ/2021)、『タカラヅカの解剖図鑑』(エクスナレッジ/2019)、『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版/2016)などがある。

イラスト/Miho Nagai