アトリエM_こばやしいちこによるオリジナルブックレビュー。たくさん読んだ本の中かにおら、読者すすめの一冊をご紹介します。
ブランケット・キャッツ / 重松清
そのペットショップは、猫を貸してくれる。レンタルビデオならぬレンタルキャット。基本の契約期間は3日間。きっかり。それ以上だと、人間も、猫も情が移ってしまい、別れるのが辛くなるから。どんなに気に入って仲良くなっても買取は不可。そして、同じ猫の貸し出しも、一か月以上の間を置かないと受け付けてくれない。それから一番大事なこと。そのコの生まれた時から使っている毛布は、絶対に失くしてはいけない。一緒に貸し出されるバスケットに敷いてやって、必ずそこで休ませること。
いろいろと条件もうるさく、決して安くないレンタル料なのに、予約は途切れることがない。事情があって動物を飼うことが出来ないけれど、ちょっと味わってみたい人や、自分が猫を飼うことが出来るのだろうか、と試してみたい慎重な人、また、ちゃんと間をおいて、同じ猫を何回も指名する人も。人によって事情はさまざまだけれども、人生の節目節目に、あたたかでふわふわの生き物を必要とする人間は思いのほか多いようだ。そんな人間たちのために、優秀なブランケット・キャットたちは、そのコ専用の毛布とともにあちこちの家庭を行ったり来たりしている。
店長いわく、ブランケット・キャットは、猫ならどの猫でもなれるわけではない。特別優秀で賢い子だけがなれるそうだ。レンタル先々で異なった名前をつけられ、即席につけられた名前なのに、呼びかければ、にゃあ、などとかわいらしく返事をしてくれる。亡くした猫の身代わりや、旅行の相棒、与えられたさまざまな役割を演じきり、りっぱにおシゴトを勤め上げるのだ。
これはそんなブランケット・キャットたちと、彼らに救われる人間たちのお話。
私は、犬が大好きで、犬と一緒に暮らしているが、猫だって好きだ。高校生の頃、短い間だったが猫と暮らしたこともある。当時通っていた学校の近くで、友人と一緒に茶トラの仔猫を拾ったのだ。
小さな男の子だった。ふっわふわで、にーにー鳴いていた。逃げることなく抱っこされて、しばらく探したけれど、母親も見当たらない……すぐ近くにあったファーストキッチンで、いらない小さな段ボールはありませんか?と助けてもらい、電車に乗って我が家にやってきたのだ。
名前は、『アール』。一緒に拾った友人とつけた。なぜかアルファベットでカッコイイのを、と2人で言い合って決めた。候補は他に、『ジェイ』とか『ケイ』だったと思う。
アールは、すっごく私に懐いていた。私にだけ懐いていた。後にも先にも、親以外の生き物にあんなに愛されたことはない。「アール」と呼びかければ、「にゃぁ~……?」と優しげに答える(私にだけ)。私が横になって、胸の上にアールを乗せれば、顔を飽きることなく、ザーリザーリとザラザラの舌で愛し気に舐めてくれる(これも私にだけ)。私の母親とは相性が悪いらしく、よくやりあっていた。でも、どんなに母と格闘中でも、私が帰ってくる5.6分前には格闘を切り上げ(母曰く)、玄関にピシッと三つ指をついて待っていてくれた。
「どうしてわかるのかしら?あなたが帰ってくる気配も何もない、何分か前よ?よっぽど恩義を感じてるのね」
今でも時々、アールの話が出ると、母はなぜか憎々し気にこう言う。
成長したアールは、たまに1、2日外泊をして、いつもちょっと汚れてケガをして帰ってきた。当時小さな三階建てだった我が家の、私の部屋のある3階の窓の外に、「にゃ~」と控えめな声が聞こえ、ただいま、の合図。窓を開けると、恥ずかしそうにするりと入って来て、毛づくろいを始める。近所の天ぷら屋の猫がこの辺ではボス猫で、どうやら、いつもヤツと一戦交えて来るらしい。
心配だったけれど、いつもちゃんと帰ってくるから……と思っていたら、ある時、一週間たっても帰ってこなかった。母と、探し回ったのだが、結局、それきりアールは帰ってこなかった。
去勢手術した後の、外泊だった。もしかしてそのせいでボス猫にいつもよりコテンパンにやられて、がっくりしちゃって帰ってこれなくなったのか?いやいや、可愛らしいから、どこかの家猫になっちゃったのか?茶トラでカギしっぽの猫を見つけると、名前を呼びかけずにはいられなかった。アールだったら、絶対返事をしてくれるはずだから。
あそこで私が拾って来てしまって、アールは幸せだったかな?家を出た後、アールは幸せだったかな?と、時々考える。
幸せだといいな。私はすごく幸せだったよ。
今でも猫は、茶トラが好きだ。カギしっぽだと、なおいいね。