Tea and・・・ PR

紅茶の神様のキッズプレート

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紅茶コーディネーターのイノチカが、さまざまな角度から紅茶と共に過ごす時間をご提案するオリジナルエッセイ。

好きなのは紅茶を愉しむしあわせな時間と空間。
一人の時もあれば、大切な誰かと一緒の時も。自宅をはじめ居心地の良い場所でのTeatime。
私の人生の中で、紅茶と紐づく記憶は、いつもしあわせと結びついています。
暮らしに紅茶を取り入れて、日常にもっともっとしあわせな時間を増やしていくことができたなら……。
紅茶にまつわるあれこれを綴ります。どうぞ紅茶を片手にお付き合いください。

《Tea and・・・紅茶の神様のキッズプレート》

「ジェームス・テーラー」という人物をご存じでしょうか。

前回紐解いた国産紅茶の歴史でもご紹介したように、日本はイギリスに紅茶を輸出し、外貨獲得の産業として発展させるために栽培、力を注いでいたのですが、イギリスもまた、植民地で紅茶を栽培、産業として発展させてきた歴史があります。
そのためにイギリスからインドやセイロンに移り住み、パイオニアとして紅茶産業の発展のために人生をかけて向き合った人々がいました。
その中の一人がジェームス・テーラーです。

国産紅茶ゆかりの地・くまもとイノチカが紅茶と共に過ごす時間をご提案するオリジナルエッセイ。暮らしに紅茶を取り入れて、日常にもっともっとしあわせな時間を増やしていくことができたなら……。第20回は、国産紅茶『やまが復刻紅茶』から、歴史について。イノチカさんの生まれ故郷、くまもとが和紅茶と所縁があったというお話。 ...

彼は、セイロン紅茶のパイオニア、紅茶の神様と言われているのですが、私は紅茶を学ぶまで全く知りませんでした。
今では紅茶の産地として名高いセイロン(現・スリランカ1972~)も最初から紅茶の木があったわけではなく、人の手が加わり、ジャングルを開拓し、産業として発展していくまでの歴史があります。

紅茶栽培に人生をかけた男

テーラーはイギリス・スコットランドの片田舎の貧しい農家の出身で、1852年、17歳の時にイギリスから、セイロンへ渡りました。
イギリスでのコーヒー需要に対する供給源として、セイロンの開拓者たちがコーヒー栽培で富を得ていた時代、彼も一攫千金の夢を抱きやってきたのでした。
その当時のスリランカはコーヒー栽培が主流で、紅茶はなかったようです。

テーラーは植物を育てる才覚があり、錆(さび)病で、コーヒー農園が壊滅状態になった後、アッサム種の紅茶栽培を成功させ、セイロンをコーヒーに代わる紅茶の産地として発展させました。
コーヒーも紅茶も農産物。人間の思うようにはいきません。
今でこそ、紅茶栽培の手法は確立されていますが、当時は試行錯誤、失敗も多かったはずです。

紅茶栽培に人生をかけ、取り組んできたジェームス・テーラー。
どんな人生だったのか……そんなことを思いながら、今日はスリランカの紅茶KANDYをいただいています。実はスリランカの地で最初に実験的な茶の苗が栽培されたのがここキャンディ(地名)。
標高600メートル以下の低地で栽培されるKANDYはクセがなく、タンニンの含有量も少ないので、大変飲みやすい紅茶です。これからの季節、特にアイスティーにもおすすめですよ。

テーラーは57歳でこの世を去るまで、一度も故郷イギリスに帰ることなく、独身で、ひたすら茶の栽培や紅茶の製茶技術の実験を繰り返し、進化させ、紅茶の神様とまで言われるような功績を残しました。
どのような苦難を乗り越え、紅茶の栽培を成功させたのか、また、このパイオニアと言われるジェームス・テーラーという人物はどのような生い立ちで、どんな人生を送ったのか、歴史を知ることで、紅茶への愛着もわいてきます。

ジェームス少年と母が愛した時間

テーラーの博物館に残されている遺品の中に、キッズプレートがあるそうです。
身長185㎝、体重が110キロを超える大男のテーラーがずっと大切にしていた子どもの頃の思い出の品。

そのプレートの中にはこんな詩が書かれています。

 IF THE FAIRIES COME TO TEA もし、妖精たちが紅茶を飲みに来たら

 HOW VERY JOLLY THAT WOULD BE どんなにか楽しくなるよ

 THEY‘D SAY HELLO.  ‘’やあこんにちは‘’って言ったら

 I’D SAY COME IN. どうぞ入って、っていうんだよ

 AND THEN FUN WOULD ALL BEGIN それからおもしろいことが始まるんだよ

テーラーの母は彼が9歳の時に他界しており、このプレートは異国の地で、彼を支える母の形見。
小さなジェームス少年は大好きな母と一緒にこのプレートでティータイムを楽しみ、この詩にフレーズをつけて一緒に歌っていたのかも。母の優しいまなざしと、紅茶の香りが彼の脳裏にしあわせな思い出として刻み込まれていたのかも知れません。
彼にとって紅茶は、しあわせな記憶を引き出す鍵だったのではないでしょうか。

テーラーの紅茶に対する情熱や努力の源泉がここにあるのではと想像すると胸が熱くなりました。
「紅茶を飲んだ人々が、しあわせに、楽しい日々を過ごせたら……」そうした思いを抱きながら紅茶を作っていたからこそ、ジェームス・テーラーはセイロン紅茶のパイオニアとして、名を遺したに違いありません。

一杯の紅茶には、こうした先人たちの熱い想いがこめられている。だから私たちは、紅茶を頂きながらしあわせになるエネルギーを受け取ることができるのかも。

目を閉じて、紅茶の香りと味わいを五感で感じながら、想像を膨らませ、紅茶の歴史も感じ取っていただければうれしいです。

そろそろ紅茶のお代わりはいかがですか?
もしかしたら、妖精たちが遊びに来てくれて、たのしいことが始まるかも知れませんよ!

参考図書/『磯淵猛が歩いた・紅茶レジェンド「イギリスが見つけた紅茶の国」』磯淵猛(土屋書店/2011)

文・イノチカ

ライフイメージコンサルタント・ 整理収納アドバイザー・紅茶コーディネーター。
紅茶好き。でも、どんな暮らしをしたいのかを模索する中、理想の暮らしを手に入れるためのゆとりを創り出す整理収納と出会い、本当に好きなのは紅茶を愉しむ時間と空間だと気づく。私にとってTeatimeは小さなしあわせを感じ、人生の大切なことに気づかせてくれるゆとりの時間。今日も紅茶を片手にしあわせなひと時を過ごしている。