日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
仕事で訪れた京都で、おしゃれカフェに入ったのが前回。
https://entameseiri.com/essay-314
仕事を終えてさあ、どうする?
あまり移動時間を取らない徒歩圏内を調べて、名勝 渉成園-枳殻邸-(しょうせいえん-きこくてい-)を散策することにした。
花の見ごろは重ならないけれど、新緑がとにかく美しい季節だ。
この日は日中の気温もあがり、日差しがまぶしかった。
渉成園は東本願寺の飛地境内地、つまり別邸。
「園日渉而以成趣」園、日に渉って以って趣を成すから、渉成園と名付けられたとある。
入園料を払うと立派なガイドをいただけるので、これらはすべてガイド文より。
ちなみに枳殻(きこく)はカラタチのこと。カラタチを生垣として植えたため、別名からたち邸と呼ばれたのだそう。
別名の由来って面白い。意外と理由は単純なことが多いし、親しみもこめられている。
今はあだ名禁止とかもあるらしいので、こういうのを面白がるのも不謹慎と言われてしまうだろうか。
たしかに結構デリカシーのないあだ名もあったし、お父さんお母さんにつけてもらった名前を大切にしましょう……というのも理解できるからあれだけど。
親戚を地名で呼ぶのとかも私は結構好き。これに関しては名字がかぶるから便宜上そうなっていることも多い。
そんなわけで話が逸れたが、枳殻邸を知ってこれからはカラタチがすぐに読めるようになりそう。よかった、うん。
庭園の北口を入るとまず目に入るのが臨池亭。これもその名の通り。池を臨む。
透き通った池の水面に新緑が映っている。
観光地あるあるで、数人の観光客に向けてガイドさんが話しているのを少しの距離を保ちつつ、耳をダンボにして情報を得るという姑息な手がある。(姑息の自覚はあるのです)
この日、この場所にはそういう人がおらず、一人静かに見ていたのだが、気が付くとなんとなく私が数組の先頭になってしまった。初めての場所だから順路にあまり自信がない。途中で二又に分かれていたりして、どちらから行くかみたいなことってよくあるのだ。「ついて来ないで~」と思いつつ、これも観光地庭園あるあるだったりするよなぁと思っていた。
と、またまた話が逸れたが、臨池亭の中から池越しに見る景色はもっと美しいだろうなと思いながら次へ進んだ。
園の約6分の1の大きさを占める池、印月池の奥に位置する、回棹廊(かいとうろう)を渡る。
木橋の板を踏む時のきゅうきゅうという音、木の清々しい香り。
藤の時期にはこの橋から池の向こうの藤棚がさぞ美しいことだろう。残念だなぁと思いつつ、花の時期は混雑していて私は避けたかもしれないから、記憶の中にある美しい藤の花を頭の中でセルフ合成した。
橋を渡ると今度は石段をあがって茶室として建てられた縮遠亭へ。これもまた読んで字のごとく。かつてはその茶室から阿弥陀ケ峰の遠景が縮図のように見晴らせたそう。
うーん、やっぱり名前って大事。
縮遠亭の脇にあったのが、塩釜の手水鉢。
鎌倉時代に制作されたとみられるこの手水鉢は、全国の庭園にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもの、いわばオリジナルなのだそう。渉成園の景物として最も重要なものなのだとか。
実はこの時、スマホの充電がもう残り数パーセントになっていたために、撮影箇所は限定していたのだけれど、この手水鉢はなにかよくわからないけれどガッツリ押さえていた。
だからあとでガイドを読んで、自分に「グッジョブ!」となった。
こういうエピソード込みだと、記憶に残るし、今後、庭園で手水鉢を見かける度にへへーんと思える。というか、手水鉢に目が行くようになるに違いない。
というわけで、その後は橋を渡り、障子とガラス戸が美しい閬風亭から青々とした芝生を眺め、出口付近の楠(クスノキ)の香りに癒され、園をあとにした。
「風薫る」という夏の季語があるけれど、まさに風薫る五月のグッジョブな庭園散歩。
ちなみに枳殻(カラタチ)の木の花言葉は「悠揚とした」。
「ゆったりとしてせこせこしないさま」という意味だ。
うん、後付けとはいうものの、至極納得!