誰にでも忘れられない味がある。ふとした瞬間に思い出したり、その味と共に記憶がするするとよみがえったり。あなたのunforgettableな味から記憶を整理します。題して私のアンフォゲ飯。
今回アンフォゲ飯を語っていただいたのは、宇宙ライターとして数多くの宇宙関連書籍や取材を手がけられている林公代さんです。宇宙に関連するアレをアンフォゲ飯としてご紹介いただきました。
-- あまり食にこだわりはないとおっしゃっていましたが、林さんの忘れられない味を教えてください。
林 福井県小浜市の若狭高校海洋科学科の生徒が開発し、宇宙日本食として認証され、宇宙に行ったさば缶の話をさせていただきますね。
-- 実は今回、林さんにお話をうかがおうと思ったきっかけがまさにその「若狭宇宙鯖缶」でした。ぜひ教えてください。
林 ライターとして一番初めに若狭高校に取材に行ったのは2018年の12月でした。さば醤油味付け缶詰は、33番目の宇宙日本食としてJAXA(宇宙航空研究開発機構)が初めて認証。それまで宇宙食を作っていたのは、大企業や製造ラインを持っている会社がほとんどだったので、高校生が開発した宇宙日本食が認証されるというのは驚きでした。
以前から若狭高校のさば缶が候補に選ばれたことはニュースで知っていました。しかし、宇宙食を製造する上では安全管理がとても大事ですし、安定的な供給ができる製造ラインの確保も必要です。さまざまな課題があることも聞いていたので、正式認証が決定した報せを聞いた時はとても驚きました。喜びと共に、どこか信じきれていなかった自分を恥じたことも記憶しています。
認証はされたけれど開発は続いていると伺い、その様子を取材させていただけることになりました。
-- 林さんはもともと福井県のご出身なのですよね? そうしたご縁もあって取材につながったのでしょうか?
林 初めは私も警戒されていたかもしれません。というのも2022年に出版した『さばの缶づめ、宇宙へいく』(イースト・プレス)の共同著者でもある、ご担当の小坂康之先生は、とにかく熱心で生徒のために尽力されている方。その頃、マスコミにはあまりいい印象をお持ちではなかったようでした。
だからというわけでもないのですが、取材で訪問する際には、知人からもらっていつか食べようと保管していたロシアの宇宙食を持参して、高校生にも食べてもらうことにしました。
そうして取材を進めていくなかで、試食させてもらった開発段階の「宇宙食のさばの缶詰」が、私の忘れられない味です。
-- 開発段階の味を食す、これはなかなかない体験ですね。
林 認証はされたものの開発は続いていました。JAXAからは「家庭の味が食べたい」という宇宙飛行士からの要望や、味つけの濃さに関してフィードバックがあったそうです。宇宙では体液が頭のほうに上がってきて鼻が詰まったような状況になり、味を感じにくくなるので、濃い味付けにすることが必要です。家庭の味という漠然としたオーダーや、諸条件に応えるために、高校生たちは試行錯誤を繰り返していました。
というのも、認証はされても最終的には、どの宇宙食を持って行くかという宇宙飛行士の試食会でそれが選ばれなければ宇宙には持って行ってもらえません。だから、より美味しくしたいという思いがあったのです。日本人だけでなく、海外の宇宙飛行士にも美味しく食べてもらいたいという高い目標も掲げて改良を続けていました。彼女たちの取り組みは「探求学習」の中で行われていました。
-- まさに探求ですね。ますますその味が気になります。
林 缶詰というのは缶に詰めてから3カ月くらいした段階が一番美味しいらしいんです。醤油と砂糖の割合の調整も何度も繰り返したといいます。
私が試食させてもらったさば缶は、福井の“よっぱらいサバ”を使用したものでした。小浜は昔、たくさんのサバが獲れた地域で、若狭の国から京都までの道は鯖街道と呼ばれました。やがて漁獲量は減り、今流通しているサバはほとんどがノルウェー産。そこで2016年に立ち上がった「小浜よっぱらいサバ復活プロジェクト」から誕生した酒粕をエサに養殖されたサバは、今ではブランド鯖として人気です。
このよっぱらいサバを宇宙食さば缶に使うことにしようとアイデアを出し交渉に行ったのも生徒たちです。
よっぱらいサバを使ったさば缶は、身がやわらかくて本当においしかったです。味は濃いめでご飯と一緒に食べたら美味しい味付けと言えば伝わるでしょうか。
正直、それまでさば缶ってあまり食べたことがなく、私の中で美味しいもののカテゴリーに入っていませんでした。試食した後は、スーパーでもさば缶に目がいくようになり、いろいろ買って食べてもみましたが、若狭高校で食べたさば缶が一番美味しかったですね。
-- その他にどのようなことに工夫がされていたのですか?
林 身がやわらかいことに加え、とろみに工夫がありました。宇宙船内では水は水滴になって飛び散ってしまうので、汁にとろみ(粘度)をつけています。そのとろみもいろいろ試した結果、最終的に葛(くず粉)になり、とろみだけ食べても美味しい出来上がりになっていました。
缶詰を作る過程で、生臭さを消すことも課題だったといいます。特に海外の方にとっては魚の生臭さが気になるという人は多いだろうという点を考慮してのことでした。蒸煮(じょうしゃ)という魚を一度蒸して出た水溶性たんぱく質を捨てる工程を入れることで生臭さを消しています。
ふっくらやわらかいサバととろみ加減が美味しくて、これは絶対に人気が出るだろうと思いました。
-- そうしてさば缶は実際に宇宙に行ったわけですね。
林 野口聡一さんが宇宙で食べて「美味しいおいしい!」と絶賛し、若田光一さんも「船外活動の前にサバ缶を食べてエネルギーチャージしました」と記者会見で話されたほど人気のメニューになったんです。14年の月日をかけて到達した生徒たちの探求心が素晴らしいと感じています。
そもそも宇宙食を作るには、さまざまな規定があるのですが、当時(若狭高校として統合される前の小浜水産高校の頃)はまだ一般的ではなかったHACCAP認証*を自分たちの工場でも取得しようと言い始めたのも生徒発信。途中でプロジェクト自体が埋もれてしまったこともあったそうですが、それをまた掘り起こしてチャレンジしたのも生徒たち。自分がそれを牽引するのではなく常に見守り寄り添ってこられた小坂先生の姿勢もすばらしいなとお話を聞いて感じたことです。
-- 本当にすばらしいですね。ところで、林さんはそれまでサバ缶にはほとんど興味がなかったとのことでしたが、サバ料理はお好きですか?
林 自分ではあまり作りませんが、母が作るさばの味噌煮が好きでした。缶詰や市販のものとは違って薄味で、食べやすかったので、体調が悪い時によく作ってくれました。
私が幼い頃育った福井では、近所の魚屋さんが御用聞きにまわってくれていたので、いつでも新鮮なお魚が食べられました。お刺身にしてくれたり、調理された形で持ってきてもらうこともできましたけど、さばの味噌煮は母の手作りでした。
やわらかめに炊いたご飯とさばの味噌煮は、おふくろの味なのかな。うっすらとショウガの味もきいていて、やわらかい味だったなと記憶しています。
-- 実はさばにご縁があったのですね。宇宙食として開発されたさば缶を試食した時、高校生たちにどのような言葉をかけましたか?
林 このさば缶が宇宙食として打ち上がる時、一緒に見に行こうね!と言ったら、「行きたい!」って言ってくれて、実際に種子島に打ち上げを見に行ったんです。でもその時は発射台火災という前代未聞のことが起きて見られないというアクシデントがありました。生徒たちは相当がっかりしていましたが、小坂先生は「宇宙開発というのはやはり一筋縄ではいかないということを生徒たちは学ぶことが出来た」と前向きに捉えていらっしゃっいました。
-- 本当に忘れられない、アンフォゲな体験だ……
林 濃い記憶となって生徒たちの中に残り続けると思います。
-- 林さんは宇宙ライターとして、宇宙を通じてあらゆるジャンル、あらゆる世代の方と交流する機会がおありなんですよね。
林 そうですね。私は人に会う現場が好きなので、宇宙に携わる方たちの声を聴いて、宇宙が好きな人の熱量や悩みに寄り添いたいなと思っています。宇宙と一口に言っても、ロケットを作りたい人、宇宙飛行士を目指す人、星が好きな人など、本当にさまざまです。でも宇宙を愛する人って、未知の世界への探求心に溢れていると思います。誰も行ったことがない場所、誰も観たことのない風景を見て、誰も知らないことを知りたい、私自身もその好奇心を持ちながらこの仕事を続けていく予定です。
-- これからはさば缶を見る度、食べる度に宇宙のことが頭をよぎる気がします! 貴重なお話をありがとうございました。
*HACCP(ハサップ)とは……NASA(アメリカ航空宇宙局)での宇宙開発計画(アポロ計画)の一環として、宇宙飛行士の食(宇宙食)に対し、「絶対の安全性」を提供するために考えられた手法。日本では2021年6月より食品衛生事業者のHACCPが義務化された。水産加工品の日本からの輸出にはHACCP認証が必要
イラスト/Miho Nagai
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