日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
エンタメ界にあまりにも突然、あまりにも悲しいニュースが走った。
神田沙也加さん、急逝。
140文字では到底まとめられず、でも沈黙に耐えられず、やはり記しておきたいなと思う。
沙也加さんの出演した『マイ・フェア・レディ』を姪と一緒に観たのは、つい先月のことだった。
実はあれから続きがあった。テレビのFNS歌謡際で『マイ・フェア・レディ』のカンパニーが登場する情報を知るや、姪に連絡すると「絶対みる!」とテンション高いレスがあり、当日はリアルタイムで視聴しながら、姪とやりとりした。
「カメラで近かったから見やすかった」「(あの時話した)床の石畳みも見えたね」「表情とかセットもよく見えた」
後日、姪は学校で劇団四季のミュージカルを観たという報告も自発的にくれたくらいだから、あの劇場での鑑賞はとても刺激になったのだなと喜びが増していたのだ。
悲しいニュースを知った後、繊細なことだけに、彼女の両親にメッセージを送った。
夜になり、やはり気になるので、そして何より私も悲しかったので、電話をかけ姪とも話した。
「もう沙也加さんの舞台を観ることはできないけれど、〇〇と一緒に観られて良かったと思っているよ。憶えていようね。」
そう伝えると姪は「うん」と答えた。
考えてみたら、彼女の姉、一番上の姪が小学生の頃一緒に観に行った『ピーターパン』のウェンディ役も沙也加さんだった。
神田沙也加さんには、ライターとして一度だけインタビュー取材をさせていただいたことがある。
彼女の代表作でもある『キューティ・ブロンド』の再演に際してのweb媒体での取材だった。
撮影も含め、1時間に満たない時間だったと思うがとてもとても印象に残っている。
取材は3社合同だった。
初演を拝見していた私は、その時の公演パンフレットを持参して取材にのぞみ、そこで答えていたことなどにも触れ、お話をうかがうことが出来た。
沙也加さんは、テーブルの前に置いたその公演パンフレットをわざわざ手に取り、ページをめくり「そうそう、わぁ~懐かしい」などとリアクションしてくれた。
それは彼女がいかに気遣いの人であるかを知った瞬間でもあった。
パンフレットを見ながら初演時についての質問にリンクさせながら、再演時は衣装やグッズにもこだわったという話に繋げるという、頭の回転の良さも感じる一コマだった。
その後の媒体ごとの撮影でのフランクな姿とプロ意識、カメラのシャッター数がものすごい数だったことも(カメラマンさんがノっている証拠)その取材現場が素敵な時間だったことを印象付けてくれた。
取材前も取材後も、私にとっては気になる役者さんの一人で、たくさんの出演作を劇場で観た。
舞台デビュー作の『イントゥ・ザ・ウッズ』から、『レ・ミゼラブル』『ピーターパン』『ファンタスティックス』『薔薇とサムライ~GoemonRock OverDrive』『1789-バスティーユの恋人たち-』『キューティ・ブロンド』『私の頭の中の消しゴム』『ローズのジレンマ』『王家の紋章』『マイ・フェア・レディ』など。
見逃した作品もあるけれど、こうして書き出すとたくさん観ることが出来たなと思う。
寂しいけれど、姪とも約束したように、彼女の歌声やキュートな姿、そして取材に答える時のきれいな言葉づかいも憶えていようと思う。
憶えているね。