※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます
その先生の背中は、やさしくて、ちゃんと孤独で、清々しくて、ちょっと疲れていて、逞しかった。
この表現は、小津安二郎を愛する人にとっては、異議あり! かもしれない。
でも、舞台『先生の背中~ある映画監督の幻影的回想録~』で中井貴一さんが演じた小田昌二郎先生の背中は、そう見えた。
PARCO劇場で上演されたこの作品の観劇、ご一緒したのは以前から小津安二郎ファンである、ひつじのまなざしのみのわ香波さん。
バラが見ごろの頃、横浜で開催された小津さんの企画展を見がてらの横浜散策に、誘ってくれたこともあったほどなので、この作品は彼女と観るのが絶対だわ! と思っていた。
やっぱりその通りだった。
中井貴一さんの貴一という名前の名付け親は、小津安二郎さん。そんなご縁があってこの舞台の企画は持ち上がったのだそうだ。
そもそも舞台ではなく……みたいなことは、パンフレットに書かれてあり、知ったことだったので、ここでは割愛する。
少し横道に逸れるが、この本当の名をもじった名付けというのが、舞台や映画、ドラマにはよく出てくる。
すごくよく見かけるのは、検索サイト。GからはじまりLで終わる検索、クークルとかクルールとかになってたり、Yからはじまる検索サイトは、ナイツさんのネタのようにヤホーだったり、パフーとかのつづりになっていたりしてよく見ると面白い。
私が製作のお手伝いをしていた整理収納アドバイザーでマンガ家のマリカジ作の電子コミック『モモとナナ』の中では、映える写真がいーっぱい投稿され、今や検索ツールとしても当たり前となったIから始まるSNSをマンガの中ではミンスタとして登場させた。
だから何かというと、『先生の背中』に登場する人やモノのちょっともじった名前を知るのも愉快だった。
小津安二郎さんの最後の監督映画作品、「秋刀魚の味」は「秋刀魚の歌」になっていたしね。
久保酎吉さんが演じたカメラマン有田広秋は、あのローアングルでお馴染みの小津作品を撮った厚田雄春さんがモデル。秋が春になってるね。久保さんのザ・職人感がたまらなくよかった。
物語は、その最後となった作品の撮影中のある日の出来事を描く。
先生がなかなか動き出さない。撮影クルーはじっと待てる人もいれば、ちょっとザワっとなる人もいて、でも皆、先生を信頼しているし、映画を愛している。
立ち止まる先生の前に、女たちが姿を現す。
生涯独身を貫いた先生の周りには、女優の谷葉子(原節子さんがモデル)をはじめ魅力的な女性たちがいたのだ。
このキャストが本当に魅力的。
元芸者で、以前は先生の……な、花江をキムラ緑子さん。
戦争未亡人の楽団員 和美は、朝ドラ「虎に翼」のヨネ役で注目を集めた土居志央梨さん。
銀座のホステスの千代には、藤谷理子さん。
葉子は柚希礼音さん。そして撮影所近くの食堂の娘・幸子を芳根京子さんが演じた。
女たちが先生の前に姿を現し、微妙なマウントをとったり、結託したり、先生をからかったりするさまが面白くて、これは先生の妄想、幻なのだけど、女たちが出て来ても修羅場にはならず、なんともいえないファンタジックで可笑しみのある時間が繰り広げられるのだ。
客席にはケラケラと笑ってしまっている人もいれば、クスっとする人もいたり、「え、これって実話?」とやや混乱する人もいた。
私はどうだったかといえば、ホッとしていた。不思議なのだが、名監督、巨匠、世界の著名監督からリスペクトされる小津安二郎さんがこんな風にチャーミングだったのならいいなぁ、ホッとしちゃうなぁという不思議な感覚だった。
さて、小津安二郎好きのみのわさんは、どんな風に感じていただろう?
そしてこの舞台、整理収納アドバイザーである私たちは、何度も「あ!」となるセリフがあった。「それって整理収納ですわ!」と感じるセリフだらけだったのだ。
出来ることなら、一時停止ボタンを押して「今のセリフ、書き写させて!」と言いたくなるような感覚だった。もちろん舞台だからそんなことは出来ないのだけれど、本当にいいセリフばかりだったのだ。
小津さんが愛し、墓石にも刻まれている「無」を語るシーンなどは、整理収納で大切にしている考え方そのものだった。
「映画は人生、人生は映画だ」とは、舞台でもしみじみ小田先生が口にするセリフだ。
「整理収納は人生、人生は整理収納だ」とも通じてしまう。
タイムトリップできるなら、小津監督(ここではあえて本物ということで)をゲストに招いて、整理収納対談をしたいところだ。
いや、私は直接お話するのは難しそうだから、進行役ってことでお願いしたい。
妄想なら好き勝手言えちゃう。
そういえば、小田が最愛の母・久乃のことを「婆」と何度も言っていた。「ババア」と発音する。それが今だと、母親のことをババアだなんて! と一瞬思っちゃうけれど、なーんとも愛情深くて、ぬかみそ臭くて、いいなあと感じてしまった。
意味というか心情はほとんど「ママ」で間違いないだろう。
舞台中央、奥には撮影所の大きな扉があって、そこから出入りするシーンも何度かあった。
重い大きな扉。
仕事で撮影所にお邪魔したことがあり、あの大きな扉をくぐったことがあった。天井が高くて、撮影に使う機材や道具が置かれていたそこは、無から有を作り出す基地といった感じだった。大人たちが真剣に遊んだ場所と言っていいだろうか。
その大きな開閉扉の脇に、ドアがあって、おかもちを持った幸子はひょいとそこから入ってくる。芳根さんが実に愛らしくて、撮影所の主に男の人たちを相手にしている食堂の娘さんだから、サバサバっとしている感じも良かった。
本当は一人一人を細かく語りたいけれど、長くなりそうなのでこの辺で。
中井貴一さんと言えば、映画、ドラマにとって欠かせない俳優だ。でも舞台にも欠かせない役者だと思う。PARCO劇場で2001年に観劇したのをはじめに、数多くの作品を観て来た。
そのどれもが印象的で、またこういう作品が観たいと思わせられてきた。
『先生の背中~ある映画監督の幻影的回想録~』もまた、観劇後にその思いを強くさせられた。だってね、本当に、いい背中だったのだ。


2025年6月8日(日)~6月29日(日)
PARCO劇場
2025年7月5日(土)~7月7日(月)
森ノ宮ピロティホール
2025年7月11日(金)~7月12日(土)
J:COM北九州芸術劇場 大ホール
2025年7月15日(火)
市民会館シアーズホーム 夢ホール
2025年7月19日(土)~7月20日(日)
東海市芸術劇場 大ホール
出演/中井貴一、芳根京子、柚希礼音、土居志央梨、藤谷理子、久保酎吉、松永玲子、山中崇史、永島敬三、坂本慶介、長友郁真、長村航希、湯川ひな、升毅、キムラ緑子
脚本/鈴木聡
演出/行定勲
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