ステージには神様がいるらしい。 だったら客席からも呼びかけてみたい。編集&ライターの栗原晶子が、観劇の入口と感激の出口をレビューします。
※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます
佐々木蔵之介ひとり芝居『ヨナ-Jonah』。旧約聖書に描かれる聖人、預言者で漁師のヨナを題材にした、ルーマニアの詩人マリン・ソレスク原作の作品。
このプロフィールだけを聞いていたらひょっとして、作品を気になりながらも気後れして見逃してしまっていたかもしれない。
運良くこの作品の日本凱旋上演にあたって行われた佐々木蔵之介さん取材の機会をいただいたので、これは絶対に観たい!に変わった。ご一緒したのは、青山美香さん。まったく別ルートで気になる作品があるのだけど……と観劇に誘っていただいたのだ。
会場は東京芸術劇場 シアターウエスト。ここで観れたのがあまりにもふさわしかった。今年5月から6月にかけて、蔵之介さんが単身ルーマニアに渡り、演出家のプルカレーテさんや現地スタッフと共に作品を作りあげ、東欧を中心にヨーロッパ7都市で上演した本作。公演した劇場のキャパもさまざまだったとインタビューと凱旋記念記者会見で聞いていた。
それを聞いていた上でのシアターウエストだった。
開演15分前、ロビーに待機していた観客が客席に着くと、舞台にはじっと座っている蔵之介さん演じるヨナがいる。微かにピッピッと刻む電子音が流れていて、舞台中央で座禅している。人というより仏像のような佇まいだ。すぐに知っている日本的なものに例えたくなるのは、自分自身に聖書への知識がほとんどないからなのだろう。仏像の知識だってないけれど。
微かな音、強弱のある声(台詞)に耳を澄ましているうちに五感がどんどん研ぎ澄まされていく感覚があった。それが証拠に、巨大な魚に飲み込まれた時、ドンっという音で目の前が真っ暗になったのだが、その瞬間、漫画みたいに体がビクッとなった。加えて誰かの椅子がキシーッ、ギシーッと聞こえるとそれも舞台の効果音なのかと息を飲んだ。シアターウエストがよいと思ったのはこのせいだ。例えば上のプレイハウスの椅子だったらこういう音は発生しないだろうから。
途中、女性の泣き叫ぶ声が聞こえるシーンもある。真っ暗な中でかなりの時間聞こえたから、もしかして暗闇恐怖症の方が客席で困っているのだとしたらどうしよう、そんな不安にも襲われた。究極の疑似体験。究極のサブリミナル効果に自分の五感と感情が包まれた。
釣り人の男は大きな魚に飲み込まれる。そこから出られるのかもがく、踏みとどまる、ポジティブになる、ネガティブになる。人間くさくて、生命力に溢れていて、でもはかない予感もあって静かに血圧があがっていく気分だった。心拍数というより血圧の方。
包まれると言えば、舞台美術が面白いと聞いていたが、本当に面白かった。紙やビニール、特に紙は包まれたり、打ち破ったり、いろいろな役割をする。これもまた小さい頃に教育テレビ(今はEテレ)で観た番組のコーナーを見た時のような好奇心をプニプニと刺激する。
個人的にもっとも刺激されたのは、黒い紙?に爪で描いたシーン。ヨナの両方の手に生えた爪は、何色かのマーカー?で、蔵之介さんが両手をぶんぶん大きくもがくみたいに、泳ぐみたいに動かしながら描くのだ。黒板のような横長の黒いキャンバスに描かれたそれは、絵なのか文字なのか、感情なのか。アドリブのようだが私には文字に見えた。文字……、いや、でもこれ海外で演出され、上演されたんだよね。
4つくらいのスペースの右から二番目は、「惑」とか「迷」みたいに見えた。
なんかつじつまが合うじゃないか。
左のスペースにはある一文字に「から」と続いているように見えた。それもなんだかつじつまが合うような気がした。
しかし、しかしなのだ。翌日、その文字が何に見えたのかを私はまるで思い出すことが出来なかった。今も。自分の記憶力のなさに悲しくなって、呆れて、一緒に観劇した美香さんに聞いてみた。
「惑」じゃなかった? と教えてくれたけど、左の文字はそもそも私が勝手に思い込んで読んでいただけなので、シェアしてない。
「それが演出なのかも」とウイットに富んだ答えで慰めてくれたけれど、私は「ねえ、あなたには何に見えた? 文字に見えた? 絵に見えた? 昨日の公演ではどうだったの? ルーマニアではどうだったの?」と聞いて回りたい衝動に駆られていたので、そもそも覚えていられなかったことをまだ悔やんでいる。
ちなみに美香さんは、爪のシーンについて「暗闇の中で生死すら確認できない状況で、<爪がのびていること=生きている>ことを確かめているシーンだと受け止めた」そう。
あぁ、素晴らしい。そういう解釈できる人になれたなら……。
ヨナは闇から脱出を果たす。ステージには質素な部屋が出現した。質素と書いたが、東欧のデザインを感じるあたたかみのある部屋だ。窓から日が差し込む。
歳月の経過がそこにあった。いや、そもそもこの老人による語りだったのだろうか。
私は何もわかりはしなかった。
でも、あの感覚を研ぎ澄まして闇や音や言葉に集中したあの体験は、「わかる」こと以上の何かだったように思う。
公演チラシと、当日会場で配られたプログラムを見た。問題の爪で描かれたところのシーンが写っている。「から」と読める気がする。でも「から」の前の文字は見えない。
左右対称の、四葉のクローバーみたいな文字だったんだよなぁ。
でもこれ以上は探すことはせず、日常に戻ろうと思う。
留まらず、進もうと思えるのが、佐々木蔵之介ひとり芝居『ヨナ-Jonah』だったと記録だけ残して。
2025年10月1日(水)~10月13日(月・祝)
東京芸術劇場 シアターウエスト
2025年10月18日(土)
北國新聞赤羽ホール
2025年10月25日(土)~10月26日(日)
まつもと市民芸術館 小ホール
2025年11月1日(土)~2日(日)
水戸芸術館ACM劇場
2025年11月8日(土)~11月9日(日)
山口情報芸術センター スタジオA
2025年11月22日(土)~11月24日(月・祝)
COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール
出演/佐々木蔵之介、小林宏樹、吉田朋弘、佐々木奏音
原作/マリン・ソレスク
翻訳・修辞/ドリアン助川
演出/シルヴィウ・プルカレーテ

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