理由あって週イチ義母宅に通っている。
これは、主にその週イチに起こる、今や時空を自由に行き来する義母とその家族の、
ちょっとしたホントの話だ。
若年性アルツハイマー病になる主人公と彼を支える妻らを描いた物語。映画の中で、木梨憲武さん演じる陶芸教室の先生が、彼の症状に乗じて月謝を二重取りしてしまおうとするシーンが出てくる。
好感度の低くないノリさんが、好感度抜群風の役で演じるこのシーンで、結構ドロッとしたものが心に流れたことをよく覚えている。
週イチ義母宅へは、電車でガタゴト片道約50分。
金曜日は出かけに何かと仕事のメールや連絡が入ることも多く、
今日はいつもの電車に乗れなかった。
お昼に合わせていく予定が、過ぎてしまいそうだ。
「まあでもいいか。何時に来るかも、いつもより遅いというのもわからないもんな」
ドロッとした思考が私を支配した。
無理し過ぎた段階でいろんなものが崩れるとわかっているから、これまでだって無理はしないできた。それを責める人はもちろんいないけれど。
駅に着き、電話を入れるとなかなか出ない。
呼び出し音が鳴るのに出ない時は、
1.トイレに入っている最中
2.寝ていて起き上がるのに時間がかかっている
3.電話機の電源が抜けている
(電源が抜けていても電話回線は生きているので、こちら側の呼び出し音は鳴ってしまうのだ)
4以降はもっと深刻なことが起こった場合ということになる。
あきらめて歩き出し、しばらくして再びかけると、義母が電話に出た。
なんとなく混乱しているようだった。
到着してからわかったのは、外に一人でふらり出ようとしたところをお向かいさんが止めてくれ、家に戻るよう誘導してくれたらしい。
電話に出なかったのは、そのタイミングだったようだ。
それからお向かいさんが機転を利かせて、お世話になっているデイサービスの会社にも連絡を取ってくれた。
持つべきは頼りになるご近所さまだ。
ふらりと出かけようとしたことも、混乱の原因も完全に特定はできなかった。
たまたま30分到着が遅れた日だったというのと、
例のドロッとした感情がリンクして、「あーあ」となる。
ちなみに、私が来るのを待ちわびて向かいに出ようとしたわけではない、はず。
それからの金曜の午後は至って平和に、いつもの金曜の午後だった。
新聞は本日開幕の北京五輪に関する記事が多く、それを読んでもらったりもする。
今日も安定の「コロナ禍」を「コロナなべ」と読んで笑わせてくれるし。
しかし、そのせいだろうか、いつものラベル書きでこんなことがあった。
今日、最後に書いてもらう料理名は「トリツクネナベ」だ。
鶏むね肉に生姜とネギをたっぷり入れたつくねを一人用鍋の出汁で白菜と一緒に煮たもの。
ドロッとではなく、サラリと仕上げた。
(写真の空の保存容器にこの後、詰めたのだ)
義母はマスキングテープに「鳥つくね鍋」と書いた。
「すごい、鍋、漢字じゃない!」
いろいろな漢字を忘れがちな義母の、これが新聞音読効果、まさかのコロナ禍効果か。
また来週も新鮮に会おうね。