ステージには神様がいるらしい。 だったら客席からも呼びかけてみたい。編集&ライターの栗原晶子が、観劇の入口と感激の出口をレビューします。
※レビュー内の役者名、敬称略
※ネタバレ含みます
日越外交関係樹立50種運記念 新作オペラ『アニオー姫』をご縁をいただき観劇。
場所は昭和女子大学 人見記念講堂、11月4日(土)、一日限りの公演だった。
『アニオー姫~朱印船が結んだ玉華姫と荒木宗太郎の恋』。これは、17世紀初頭にあった史実を基にした愛の物語。
慣れないオペラ観劇を前に、まずしたのは物語を頭に入れておくこと。
公式サイトには第1幕から第4幕までの物語が丁寧に記されていた。
普段はネタばれを避けるタイプだが、招聘公演など字幕が出る作品は、ストーリーを追うのに必死になり、字幕ばかり見て舞台そのものをなかなか観られないなんていうこともあるので、そう準備した。
物語を読んで、途中までは「あぁ、これは悲恋のストーリーなのかしら。悲劇的な最後なのかしら」と一瞬予想してしまったが、この『アニオー姫』はそうではない。
謎に安心してあとは初めての人見記念講堂での開幕を待った。
2階席前方からは、オーケストラピットがよく見えた。
演奏はベトナム国立交響楽団。
ミュージカルなどもそうだが、生演奏のあのチューニングが始まる瞬間が好きだ。
少しずつ音が重なり、さぁ、始まる!というあの高揚感。
『アニオー姫』のオープニングは、ミュージカル『ミス・サイゴン』などで聞き覚えのある、やさしいオリエンタルな調べからはじまった。
アニオー姫(玉華<ゴック・ホア>姫)は、現在のベトナム中部、広南<ダンチョン>国王の娘。
荒木宗太郎は、朱印船の貿易商として広南を訪れていた。航海の途中、嵐に巻き込まれるも一命をとりとめた宗太郎は、漂流している舟を助ける。そこに乗っていた子どもの一人が玉華姫だった。
10年の月日を経て、今度は宗太郎が暴れる象に踏みつけられそうになり危ないところを笛の音に助けられる。その笛を吹いていたのは玉華姫だった。二人は運命の再会をして恋に落ちた。
もう完璧な物語だ。思い思われの関係といい、助け助けられの関係といい、片方の力が強烈であったらバランスは簡単に崩れてしまうけれど、この物語はそのバランスがフラットであることが美しい。
2人を結び付けた言葉は「ARIGATO」だった。
これは歌詞の中に何度も出てくる。日本人である私たちにとってはとても馴染みのある言葉だけれど、私たちはこの言葉を素直に使えているかどうか……。
つい先日も、実の母とこんなやりとりをした。
母に頼まれごとをした。私にとってはさほど難しいことではなかったけれど、時間と気は多少使うことだった。
母は「あなたも仕事で忙しいのにすみませんね」と言った。「すみませんと言わず、ありがとうと言ってちょうだい」と私は言った。
母にこういうのは初めてではない。申し訳ない気持ちがあるから、「すみませんね」という言葉を選ぶのだという母に、「ありがとう」のほうが嬉しいし、気持ちがいいのだと何度でも伝えている。
『アニオー姫』に話を戻そう。
玉華姫と宗太郎は晴れて夫婦となり、長崎へ渡る。
娘を送り出す父母の思いが歌われ、二人を祝福する。
この第二幕では、愛する人と故郷への思いに迷う玉華姫の背中を押した占い師の歌に、大きな拍手が贈られた。
占い師を演じたのはファム・カイン・ゴックさん。ベトナムを代表するソプラノ歌手だそう。素晴らしい歌声だった。
長崎で暮らし始めた二人には、まもなく娘が誕生する。名前は家須<やす>。
しかし日本は鎖国に入り、アニオー姫は故郷に帰り、孫の顔を両親に見せることも出来ない。やがて、宗太郎もアニオー姫も天寿を全うする。
残された娘、家須は、二人の物語をお祭りにして残すことで、未来につなぐことを決意する。
家須を演じた川越未晴さん(ソプラノ)の初々しさが、素敵だった。
フィナーレの曲には「ふたこく」という歌詞が出てくる。とてもいい響き。これもまた、バランスが取れたワードだ。
そして、今作の中でもっとも印象的だったのが、
「ARIGATO(ありがとう)のまことの意味は 出会えたこと」というフレーズだ。
(記憶が定かだといいのだけれど……)
これからの人生で、そんな風に「ありがとう」を使えたら嬉しいなと思った。
言う側でも言われる側であっても。
結局字幕ばかり観ていたんだね、と言われてしまいそうだが、
舞台上の背景スクリーンに映し出された日本の四季折々の映像と、広南の人々のカラフルな衣装もしっかり目にした。
新作オペラが作られる背景には、さまざまな思いと工夫が詰まっているのだなぁと想像した。それが証拠に、カーテンコールでこの作品に関わられた方が次々と登場された時の、皆さんの顔は秋空より晴れがましく見えたのだ。
「ふたこく」という捉え方、「ARIGATO」の意味。
この世界は不安定なことばかりだからこそ、歌声とともに記憶していたい。
2023年11月4日(土)
昭和女子大学 人見記念講堂
総監督 指揮/本名徹次
作曲/チャン・マィン・フン
演出 戯曲 作詞(日本語)/大山大輔、作詞(ベトナム語)/ハー・クアン・ミン
出演/ダオ・トー・ロアン(ソプラノ)、小堀勇介(テノール)、ファン・カイン・ゴック(ソプラノ)、ダオ・マック(バスバリトン)、グエン・トゥ・クイン(メゾソプラノ)、川越未晴(ソプラノ) ほか
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