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作者とサクシャ―

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

サクシャ―とは、搾取する人のこと。
もちろん造語だ。

搾取とは:
・乳などをしぼりとること。
・階級社会で生産手段の所有者が生産手段を持たない者を必要以上に労働させ、発生した余剰労働の成果を無償で取得すること
とある。

最近「やりがい搾取」なんて言葉もよく聞く。
人のやりがいを利用して、下の人を安く使う……みたいなことで、まあ実際には今に始まったものではないけれど、だからいいというわけではない。だいたい下の人っていうのがよくないよな。

誤解のないようにはっきり言っておくが、私はありがたいことに自分の仕事において「搾取されているな」と感じることはない。
過去に経験がないかといえば嘘になるが、フリーランスで仕事をしていく中で、サクシャーからの仕事を受けることは、不健全だと思えるようになったし、そういうのは臭いで感じられるようになった。
いや、そういう臭いも最近じゃ近寄って来ていない気がする。

割りに合わない仕事はないの? 全部いい値?
いや、その辺りを誤解なく説明するのは難しいが、
そもそも大儲けしたい人は、フリーの編集&ライターなどしていないのではないか。
おっとこれはよくない。夢のない話をしてはいけないし、それは私の場合だ。
実際、バリバリ仕事して儲けている同業他者、諸先輩方はいらっしゃる(と思う)ので、これについてはひとまず置いておこう(笑)。

言いたいのは、サクシャーのことだ。
サクシャ―には、計算サクシャーと、無知サクシャーがいる。
計算サクシャーは、「安く使うことは正義」として算盤をはじいている人だ。
こちらも計算の上で近づくのでなければ、距離をとったほうがためである。

無知サクシャーは、自分が搾取していることに気づかない人。
特にクリエイティブ畑の人に対して、アイデアは0円と思っている人が結構いる。
「念のため、あと何パターンか出してもらえますか?」
「例えば、もっと別のアイデアってありますか?」
結構気軽に言うんだよね。

これってクリエイティブ云々じゃないところでも使われている気がする。
「ついでにやってよ」
「これくらいいいじゃん」
それに見合うものを相手に渡さず、自分都合で進めれば、それはサクシャーのはじまり。
見合うものは、お金かもしれないし、言葉かもしれないし、愛? かもしれないけれど、
どれも自分の尺度でOK出ししていくと、結構タチの悪いサクシャーになると思う。

何かを作る人、動かす人、考える人、そういう作者(製作者)には最大のリスペクトを持ちたいし、
知らず知らずのうちに増殖してしまうサクシャーにはNOと言いたい。

サクシャーとか、サクシャー予備軍の人は、そもそもそれを気にしていないから
「自分はそうなっていないかな?」なんて思う人は滅多にいない。
だから、より必要なんだよね。
何かを作る人、動かす人、考える人、そういう作者(製作者)へのリスペクトが。
あなたの周りにも、いるよね、たくさん。