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アイコンタクトに目がなくて

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日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。

年末のネイルサロン。
予約時間に行くと、担当のネイリストさんは、前の方の施術を終えてお会計をしているところだった。
自分メンテナンスして年明けを迎えたい人も多いだろうし、
やっと仕事が一段落ついてサロンに来られた方かもしれない。
クリスマスネイルを付け替えるというパターンかも。

気楽にエントランス近くのソファで待っていた。
終わって上着を着て、出口に向かってくるそのお客様となんとなく目が合って、
互いに軽く会釈をした。
同じネイリストさんを指名している連帯感のようなものがそこに生まれた。
ほんの一瞬。

アイコンタクトに目がない。洒落ている感じになるが、昔からそうなのだ。
車を運転している時に、道を譲ったり、譲ってもらったりを車同士でする時に、
父が左手を顔の横にもってきて「どうも!」みたいに挨拶するのが好きだった。
父は大柄なので、上げる腕も太いし、手も大きい。
なんとなく貫禄がある感じと、挨拶する同士だけに流れるあの感じが好きだったのだ。

バス同士がすれ違う時に運転手さんが合図を送るのもたまらない。

ステージの上でアーティストがステージサイドのスタッフさん(音響さん?)に
「もうちょっと上げて」みたいなのをジェスチャーでして、その後「OK!」みたいに
アイコンタクトを取るのも好き。

演奏家が演奏しながら一瞬アイコンタクトを取ったり、
「なによ、今日いいねぇ」「えー、そうくる?」みたいにやりとりするのを見るのもたまらない。

なんだろう、結局、そこに流れる信頼感みたいなものに憧れるのだろうか。
何に由来するかはわからない。

でもそのドライバーのアイコンタクトに憧れ過ぎた私は、
免許取り立ての時に、慣れないのにそれをしたせいでハンドルを切り損ね、
というか、無駄に切ってしまい、民家の入口のコンクリ―トの階段にぶつけて破損した。
同じ町内会のお宅だった。

しかもすれ違ったのは車同士のそれではなく、相手は原付のバイクだった。
気を遣って避けたり、譲ったりするというほどでもなかった。
つまり、やりたかっただけなのだ、アイコンタクトみたいなドライバーの「どうも!」を。
若気の至りとしか言いようがない。

父親にも兄にも、「なんであそこで?」と呆れられる始末。
幸いにも車に大きなダメージはなく、破損した階段は左官屋さんの裏口にあたる場所だったので、お詫びに行った数日後にはきれいに元通りになっていた。

今でも憧れはあるが、無駄に無理に手を挙げたりしないよう気をつけている。
年末年始、お車運転される方はどうぞお気をつけて。
でもアイコンタクトの精神は忘れずに。

ちなみに私の年明けネイルはこんな感じ