日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
今年、4月のはじめ。新宿の紀伊國屋書店でお待ち合わせをして、どこかのカフェでお話をうかがうことにしていた。
編集の大先輩に取材依頼のメッセージをお送りしたのは、その取材日からほんの1週間前。「私のアンフォゲ飯」というこのwebマガジンでの連載企画でお話をうかがいたい旨のお願いだった。
映画ジャーナリスト、書き文字ライターで『暮しの手帖 』の元副編集長の二井康雄さんを知るきっかけとなったのは、映画監督・外山文治さんの短編作品集のタイトルを二井さんが手がけられたことがきっかけだった。
映画監督外山文治短編作品集
味のあるその文字のすばらしさと世界観に魅了された。
作品集の関連イベントでお目にかかることも出来、そのタイミングでSNSでつながらせていただいたのだった。
二井さんは「暮しの手帖」の元副編集長。
私の周りでも愛読している人が多いこの歴史ある雑誌に携わっていた方だ。
翌年、「僕が応援している舞台を観に来ませんか?」とお誘いを受けたのが、
演劇集団いたわさ第13回公演『すてきなあなたに その2』だった。
レビュ―を書いてご報告したら、私が書いた記事の表記に誤りがあった。
「暮しの手帖」を「暮らしの手帖」と書いてしまったのだ。
この間違いは二井さんにとっては「またか」と思う誤表記なのだろうけど、
私はご指摘を受けて震えあがって大至急で修正したことを記憶している。
それから、月日が流れ、その他の舞台のチラシやパンフレットで間接的に関わらせていただく嬉しい機会が何度かあった。
SNSでは、二井さんがお書きになる映画レビューをいつも読むか読まないか迷っていた。
そんなひどい話があるだろうか。
でもレビューを読むといろいろ予想しすぎてしまう、わかった気になってしまう気がして、
観たいと思うものほど、観た後に読む派なのだ。
4月、取材日のこと。二井さんが行きつけのカフェにご案内くださった。
二井さんはアイスコーヒーを、私はホットコーヒーを飲みながら、「私のアンフォゲ飯」記憶に残る忘れられない味についてのお話を聞いた。
僕は……と語る口調があたたかい。
おばあちゃんのぬか漬けのことを話してくださった。
シンプルなものだからこそ、なぜそれが? どんな味? 食べていた場所は? 色は? 匂いは? といろいろ聞きたくなる。
話は広がって、ぬか漬け以外の食べ物のお話も次々出てきた。
もちろん、貴重な「暮しの手帖」時代のお話もうかがった。
編集長 花森安治さんのことを花森大先生と呼んでいたのも愛にあふれていた。
映画の話も聞きたい。いろいろ欲張ってしまったが、
「SNSと日本文教出版の学び!とシネマ
で書いてますから読んでくださいよ」と言われた。
そうなのだ、書く人は自分が書いたものを読んでもらいたいと思っている。当たり前だ、読んでもらうために書いているのだから。
生意気というか失礼ながら、「このライターとしての気持ちは同じなんだー」と心の中で嬉しくなりながら、その場でゴリゴリッとオススメ映画をうかがった。
「幻滅」をご紹介いただいた。私がライターだからこそ面白いと思えるはずだと薦めてくださった。間に合って、観ることができた。
「ぼくたちの哲学教室」も二井さんの紹介で知り、すぐに観たくなって映画館に行った。
約1時間の取材を終えて、新宿の珈琲店前でお別れした。
その後、原稿確認のやりとりなどもさせていただいた。私の曖昧な聞き取り部分には、
的確に修正指示を入れていただき、記事を公開した後はありがたいお言葉と共にご紹介いただいた。
一つ心残りだったのは、二井さんのご著書を当日持参しなかったことだ。
これにサインを入れていただくのだった……。詰めが甘いのだ、私は。
それでも貴重な時間をいただき、素敵なお話をうかがえたことを大切に大切にしたいと思う。
二井康雄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。