日常の中から、エンタメを整理収納目線、暮らしをエンタメ目線でつづります。栗原のエッセイ、つまりクリッセイ。
音楽劇『浅草キッド』を観た翌日、理由あって浅草に朝から出向いた。昨年に引き続き、浅草公会堂で踊りの会に出演するという母のカバン持ちである。
「もうこういう大きな舞台に出るのはこれが最後だから」と昨年言っていた気もするけれど、習い事には何やらいろいろしがらみもあるらしく。
それ以上に本人のモチベーション維持や健康管理にもつながっているようなので、
娘としては、カバン持ちでも付き人でもなんでもさせていただきます……という感じだ。
早起きし、浅草の地下鉄からの階段を母の荷物、お仲間さんの荷物を両の手に持ってあがる。
今回は平日ということもあり、皆、付き添いや応援を頼まず各自で準備して参加しているのだ。
楽屋入りすると、化粧、衣裳、かつらなどの準備がまもなく始まる。
これは昨年経験済なので、こちらも勝手がわかっている。
合間に追加の祝儀袋を急遽コンビニへ買いに走ったりもした。
基本的に裏方人生で来たので、この手のことには慣れている。
なんなら張り切るタイプかもしれない。
洋服は黒よりアースカラーが得意だが、黒子的働きは任せて! ってなものである。
ただ一つ、一つにして最大の問題がある。
それは私の体が大きくてどんくさいことだ。
この部分においてささっと機敏な黒子に向いていない。
実際、その日もこんなことがあった。
支度部屋に杖をついた老齢のご婦人が入ってきて、「〇〇先生にご挨拶したいのだけど……」と言った。
〇〇先生は、母にとっては大師匠にあたる方だ。
「たぶん楽屋にいらっしゃいますよ」と誰かが答えた。
しかし、その支度部屋と楽屋は別の場所にある。
「ご案内しましょうか?」
母の支度の順番をすることもなく後ろで待っていただけの私が、お節介を買って出た。
そこから楽屋へは、暗いキャットウォークを通って、段差に気を付けながらいかねばならないのだ。
慣れた風に歩きながら、ご婦人に「暗いのでお気を付けください」などと言いながら、
スマホのライトを足元にかざしたりもした。
……と、次の瞬間、キャットウォークの最初の1、2歩のところで重い塊にけつまずいて転んでしまった!
私が。
ちょっと音も出たがまだ開演前だったので、ご迷惑はかけずに済んだ。
恥ずかしくてすぐに立ち上がったこともあってか、杖をついたご婦人と同行の方は、私が転んだことにはほぼ反応せず、スイスイと無事に歩いて進んだ。
「この奥が先生の楽屋です」
それだけ言って失礼した。
ありがとうございますと感謝された記憶がないのは、私が転んだ恥ずかしさと案外痛かったことに気を取られていたせいだろうか。
少しすると指が切れて血が出ていたことに気づいた。あまり支障のない指の擦り傷程度だ。
そしてつくづく思う。体が大きく、運動不足でどんくさい、暗いところで目がきかないのは
裏方として不足が多いということを。
ただし、向いていることもある。
弁当を食べるのが早いこと。
それから初めての方ともフレンドリーにおしゃべりできるので、待ち時間を退屈させないこと。
顔から首から白く塗られたドーランを落とすのを手伝うのも、ぷにょぷにょした手は割と好評だ。
踊りの会が閉幕すると、打ち上げに参加する母らと別れ帰宅した。
今日のギャラは後日、母がご馳走してくれることになっている。
そういえば楽屋で皆さんが、墓じまいや終活のハナシで盛り上がっていた。
片づけに関するいざこざ手前の話も出ていた。
会話を仕切りたくなる気持ちをグッと押さえて後ろに控えていたことが、
もしかしたら一番裏方らしく出来たことかもしれない。